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ミチシルベ

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前編


一 講義
「えー、というわけで世界最高峰の景色というのはこんな感じです。地球上の誰よりも高いところにいるんですね」
 大学の大講義室に写し出されたスライドを示しながら、岸場岳文(きしば たけふみ)は説明する。
 岸場は今から30年前にこの大学を卒業したOBである。現在の肩書きは山岳アドバイザーで、登山を通じて自然環境や健康づくりまであらゆることに関心を深めてもらおうと津々浦々のところでこうして講義を開いて回っている。
「何か、質問はありますか――」
 今日は母校の大学で世界最高峰・サガルマータ(エベレスト)の登頂体験記を議題として話している。
 岸場はここの山岳部で頭角を現し、学生時分に国内外のありとあらゆる山を登り、卒業生で初めてサガルマータ登頂に成功した男だ。それだけに学内でも有名な卒業生の一人と呼ばれるようになった。今日はいわゆる凱旋講義で登山に興味がある学生だけでなく多くの学生が詰め寄せている。
 岸場が質問を募るとちらほらと手が上がるのが目につく。今日はいつもより多いようだ。
「期間にしてどれくらい掛かかりましたか?」
「体力的にどれくらいの準備期間が必要ですか?」
「それはですね……」
 後輩たちの質問に、岸場は自身の20年前について回答をする。サガルマータというのはエベレストという名前で誰もが知っている地球上で一番高い山だ。にこやかな面持ちで質問に答えているが、あの時の登頂は大成功と言えるものではなかったから、心底から快く思えないことは自分の中で封印していた。
「他に――、ありますか」
 しばらくの沈黙のあと講義室の前方の列で右手が上がった。岸場は彼を指名すると、スックとその場で立ち上がり真っ直ぐに岸場の目を見ていた。
「どうぞ」
「はい。私は山岳部の部員です」立ち上がったのは直接の後輩に当たる山岳部員だ。
「岸場先生のパーティは、登頂後事故にあったと聞いています。今後のために危険を回避するのに良いアドバイスなどありましたら教えて下さい」
 岸場の眉が動いた。それから演台の水を一杯、口に含み深呼吸した。
「やはりその話題は、出てしまうのだな――」
と心で呟く。
 確かに20年前、登頂に成功した人数とベースキャンプに戻ってきた人数は、違う。それだけのことだ。しかし、その事の真相は一度も回答したことはない。
「山は、登るときは気を張っています。しかし下山の時は分かっていても気の緩みは、あります。実生活でも同じですが、事を為し遂げる事よりも、為し遂げた後の事の方が大切と考えています」
 その質問に対する回答はいつも決めている。今回も同様にルーティンワークのようにいつもの回答をすると
「ありがとうございました」
という返事に岸場は顔色を変えずに安心した。
「他に――、ありますか」
 岸場がそう言ったと同時にチャイムが鳴った。岸場は拍手で講義室を送り出されたが、空調の効いた部屋なのにその顔は汗で濡れていた――。
作品名:ミチシルベ 作家名:八馬八朔