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もやもや病 10

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91 お母さんのお話

こどもの難病シンポジウムの、医療者ではない、お母さんがお話しになった内容は、とても大切なことだったと思う

子どもが生まれて、誰だってその子どもはそのお家のあるところで大きくなる
どこどこのお家の○○ちゃんという、みんなが顔見知りであることはとてもありがたい

今、大都会では、近所の関係が薄いとか、隣に誰が居るかわからないとか、お年寄りばかりの世帯になっているとか、ときどきニュースになる

なのに、若いお母さんが自分の子どもを地域で育てようと言うとき、重度のしょうがいが有ったら、大きな病気があったら、近所の保育園にさえ入れない

看護師さんを配置してもらえれば出来ることも、出来ないと取り合ってもらえなくなる

地域に1つ有る支援学校のような所は、たいがいが遠いところにあって、バスで通学するところから親が送っていくところまで・・・とにかく親がかりで
でも、小学校は、義務教育は、なんとか地元でと、何十回も役所に足を運んで、週に何日でも、普通学級に通うことが出来るようにしたという
子どもが小学校というのは、若いお母さんと言うことだ
そのお母さんがどんな思いで足を運んだかと

大人の人に、子どもの障害をわかって欲しいと言っても、むなしい思いが残る、切ない対応をされることは多い

もう、こういうことは子どもの時からの教育なのだと

何でも聞いてくる小さい年齢の子どもたち、それを聞くこと見ることで納得したら、大人のような排除はないようで、わかれば、手伝いもしてくれる、車いすのお友だちの手助けをしてくれる、声を掛けて、話をしてくれる
これこそが、子ども同士のつきあいなのだと
ここには障害者は居ませんとばかり、元気な子どもだけの場所を作るより
小さいときから、難病や、障害のお友だちが居ると言うことは、きっとその中に育つとき、優しい思いも育つのではないかと

遠い支援学校や、保育の場に車いすで通うとき、身体が小さい難病の子どもを、バギーと思って大きくなってもまだバギーに乗せておかしいと言われたという人も居るそうだ

バギー型だけれど、これは車いすなのだと言うことがわからない人たち

朝のラッシュの時間に迷惑だという人たち

大人じゃもう間に合わない教育
小さいときから、クラスメートに病気や障害のお友だちが居たら、きっとうんうんという思いで見ていられる、手も貸してもらえるか、黙ってみていてくれるだけでも良い
スーパーでもどこでも、○○さんちの△△ちゃんという存在でありたい、そう思うのは普通のことだ、そんなに何回もかよって認めてもらうことに苦労をするなんてほんとはおかしい

私も、次男の難病を通して、難病のこどもを持つ親の会連絡会の仲間を知り、思い当たったのは
私の子どもの時

お母さんがいつも昇降口に居て授業の終わりを待っていた、その男の子は、きっと腎ネフローゼだったんじゃないかと
帰りにいつも通せんぼする男の子が居て、困ったりしたけど、その子は知的に遅れのある子だった

中学の時には、背が高くて、手や足が細い、マルファン症候群の女の子だったと思う

そうやって知っても知らなくても、一緒に育っていくのが良い、学校にはいつも元気な子どもだけというのは不自然だ
シンポジウムでのお話しのお母さんはとてもチャーミングな方だったけれど、私の子どものような年齢で、孫のような年の子どもさんを一生懸命育てている
そのお母さんたちが信念を持って育てる子どもの、生きやすいようにすることにどれほどの障害が必要なのか、そんな障害は取り払ってもらいたい

250人の会場にいっぱいだったという人たちの前で、堂々とお話しになったお母さんに、あっぱれと思う^^

作品名:もやもや病 10 作家名:とことん