小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

もやもや病 6

INDEX|10ページ/10ページ|

前のページ
 


60 早くわかっていたら

お子さんはいつ病気がわかったのですか?とお聞きするとき
病名がわかったのは、1ヶ月前ですというお母さんも、でも思えば2年ぐらい前からおかしいと思うこともあったのです…というような言い方が多くて

昨日、病院に行って、今日電話してきたという人はさすがにいなかったりするのだけれど
病名がわかるまでのことは、次男のように、てんかんという診断だったり
もっと小さいお母さんは、小児科の医師に、お母さん育児ノイロ-ゼじゃないの?こんなに元気じゃないか…と言われた話は数多くあって…

脱力発作で顔がゆがむほどの症状が出ても、病院に行くまでの間にその症状は消えてしまうことが多くて、数秒から数分の時間というのは当たり前で
さっきまで手に力が入らなかったのにと言っても、今しか診ない医師にはそれがわからず

そういうことも含めて、もっと早くこの子の病気に気が付いていたらと、申し訳ないと言って泣く親は多くて…

でもね、過ぎた時間を悔やまずに、わかった今からがスタートだから
小児科といえども、病気のプロも見落とす病気を素人のお母さんがわからなかったとしても仕方がないこと、自分を責めたりはしないで
私は、次男を3歳から自家中毒と言われて7歳でてんかんと言われて、10歳で出血という、一番良くない形で病名がついたけれど、自分の所為だと思ったことなんか無い
だって、病院に行っても、そう言う名前が付いたんだから、自家中毒と言われたら、繰り返しても、毎回病院に行くこともなく寝ていて治るとわかったら、親ってそういうものだもの

わかった今から、出来ることをしよう…
そして、啓蒙活動として、患者会は、小児科の先生にこの病気を知って貰うこと、子どもでも、MRIの検査をすること、そう言うことを周りにわかって欲しいと思うから…動いてきたんだけどね…

お母さんがもっと早くわかってあげたらって自分を責めることはないのよ、ね
長いこと、電話相談を受けてきた
ある時3年分新しい人の電話相談の数を数えてみたら、だいたい50人という事だった…49人とか、51人とか…
その方々が、複数回かけてこられたり、もう前からの人たちが電話をくれたりすると、280回という電話…の数だった

新人さんだけでも、単純に計算して17年で850人、まあ結構の数だ…

私は電話が苦手で、こちらからかけるときのドキドキ感をいつも思っていたから
この方々が、初めて問い合わせの電話をして下さることの緊張を私なりにわかっていたつもりで
電話かけるのは嫌いなのに、受けるのは、なんということもなくなった
そして我が家の電話は、私専用のような電話になって…
いつの時間も電話最優先ということになった

今度とオバケにあったことがない…なんて言うけど
もしも後で電話をと言えば、もうかからないこともあるし、タイミングということがあるから…
だから電話最優先

泣きたくなるような内容もあったし、実際、亡くなった知らせを聞いたときには、泣いたこともある…
けれど、私はきっと電話が性に合っていたんだと思う
重い電話を1時間受けていたら電話が終わってもガックリすることだって有ったけれど、でも、多くの方が、電話をして良かったと言って下さる、それは直接お聞きする一番の嬉しい言葉だから

私ね、自分の声をテープレコーダーで聞いたとき、おぉイヤだって思ったのは本当だけれど
でも、電話相談を受けるときにはこの声で良かったって何度も思った
ただの普通のお母さんなんだからかっこ良いこということもなく、素敵な話し方というわけじゃない、でも、お話ししやすくて良かったですって、又電話しても良いですか?って、そして本当にかけてきてくれる、そういうことが嬉しくて

電話で話をしたって病気に役に立つことなんかない、けれど、お母さんの気持ちだけは共有できるから、同じ思いをしたんだなって話が出来たから…
元気がないときに、元気を貰ったのはそういう電話相談だった

17年間で、何回かは、とってもイヤな電話もあったし、困ったなって事もあった、でも、良かったことが多くて、電話が怖い気持ちにはならなかった

能天気のせいかもしれないけど
病気の患者が居るのに明るいという感じが、救われたと言って下さる人も居た
低い声で、落ち着いてお話ししていたら、どうだったのかな…私は今の声で良かったんだ、なんて思った


電話相談の中身は、ほとんどが同じようなことだけれど
私は、次男を通して色々な人たちの共通点を持ってきた
だから、ほとんどの電話の問いかけに、うんうんと言えたような気がする

もっと早くわかっていたら、○歳で病名が付いたけど、本当はもっと小さいときからそうだったのに、私が病院を良く探せば良かった…

同じ思いです、私は3歳から、おかしいと思っていたのに…
でも小児科の先生にわからなかったことだから、お母さんは自分を責めないで…

小学校の虐めにあって、学校も理解してくれなくて…
うちも、虐めというより無視だったから、つらかったわね…

養護学校と地域の学校とどう考えれば良いのか…
養護学校から元に戻るのは結構難しいから、だから普通の所で頑張って、逃げ道として残しておくのも良いかもね…
今は、特別支援学校という形で変わってきたけど

家族の遺伝というのの心配は?
夫の妹、次男の叔母に当たる人がこの病気だったと思うから…
でも、遺伝が確立したわけではなくて、体質遺伝のような感じかもしれないという段階で…
この病気を知らないと遠回りすることになるかもしれないけど、家族にいたら、もしもと思ったときにはすぐに脳外に行けるから、最良の治療を受けられるように近道できると思うから、あんまり心配しないようにしようね…

手術の日まで、時間が有って、まるで爆弾を抱えているような気分です
私も、次男の仙台行きの時、この期間に大きな発作が起きたら取り返しが付かないという思いをしたので、気持ちはよくわかるけど、心配するのもストレスだから、大丈夫、頑張ろうね…

身体障害者手帳…とれるものならとっておこう…
何も制度にのっていない難病だから、これからのこと考えたらね、親が出来ることはしておきたいから…

就職、うちは、アルバイトという形の仕事だけれど、これは、症状の個人差が大きいから、色々なお仕事をしている人がいるから、合った仕事が見つかると良いけど…
結婚も、出産もしている人は多いから
脳外科と、産科と、麻酔科のある大きな病院で出産計画が立てられると安心だと思うけど…

お宅の患者さんは、何歳で、今どうされて居るんですか?と聞かれたときに
33歳で、元気ですよ、とお話しすると、ホッとした声が聞こえて

こうして次男が元気にいることは、相談電話を掛けてきた人にとって、大きな希望や励みになったのだと思うから
作品名:もやもや病 6 作家名:とことん