火
そのままの状態で時間が過ぎていく。言葉にしたことは実行されることなく、空中に漂うようで、澱んだ空気に紛れてどこかで色彩や形状を変えて渦巻きながら空気を汚しているだろう。
過ぎていく時間の中で、見えない何かを星だと思い込み、何か見える赤と青の斑点に妄想を繰り広げ、脳内で物語を紡ぐ。真夜中に繰り広げられる赤と青の攻防と、真っ黒な海。いつの日か見た夢と同じものを無意識に作り上げていることに気が付いたのは私が眠りから起きたときだった。そう、私はいつの間にか眠っていた。眠ろうと準備をしたわけでも、疲れて寝落ちしそうというわけでもなかった。ただ、永遠に続く暗い部屋が私の意識というか、そういうものをどこか遠い場所に持って行ったような。それこそ、作り上げた夢の中の物語と同じものを感じていた。
どれくらいたっただろうか。そろそろお昼ご飯の時間で、私の友人の男共は学食でくだらない話でもしているのだろうか。なんとも無意味で、なんとも楽しいおかしな時間。おかしなことと言えば、時間とは何とも気まぐれなやつで、楽しいときはすぐ過ぎ、つらく、めんどくさい、例えば大学の講義などは永遠のもののように思えて仕方ない。こんな誰でも思いつくことを思考し、満足する。時間は緩やかに、でも確かに進んでいく。カーテンの向こうには流星群が流れているだろう。きっと。たぶん。
寝たはずの体はいまだ重い。思えば、今日まだ何も食べていない。ここで私はおかしなことに気が付いた。今朝からカーテンを閉め、暗闇の中にいるのだが、途中まで籠れてきていた光によって照らされた時計は一二時を指していた。午後十二時、正午。そして私は煙草を吸おうと葛藤し、睡眠もした。時間にすれば二、三時間は確実に過ごしている。それなのに、私はさっき、学食を思い出し、流星群を期待した。時間がかみ合わない。おかしい。今日は思考がおかしい。時間が交差せず、生活を続けられない。いつも通り学校に向かい、講義を受け、学食で飯でも食べていれば、おそらくおかしな行動の一つや二つでも犯し、友人から変人判定されただろう。きっとこの暗闇は私の自己防衛なのだろう。
どれくらいたっただろうか。揺らぐことのない平穏な暗闇の中で、時間という概念を一切感じないほど私はただただぼおっとしていた。体を動かさず、小さく胸で呼吸し、死なない程度の活動を繰り返す。静かな部屋の中で自分にだけ聞こえる心臓の音が生きているのだと実感させるが、同時に、ほかの雑音だとかそういうものに混じることが一切ないので、私の中身というか、そういうものを赤裸々に見せているようでなんとも言えない恥ずかしさがあった。衣をはがされ空に浮かぶミノムシのような気がした。小さく震えるクッションが私と一体化していく。
暗闇で起こることなどそうそうないので、こうやって文章化している間にもネタがどんどん尽きていき、私が経験したことはもうなくなっていた。あとは私の妄想、創造と…。
ある時、体が大きく揺られた。暗闇の中のため、私が揺れているのか、それとも部屋、大地、つまり地震なのかわからなかったが、確かに揺れた。その揺れのせいで小さく、乱すことなく揺れていた体のリズムを大きく侵され、私はかなりの苛立ちを覚えた。なんだ、だれだ、何をしてくれる、せっかくの暗闇での安定な世界を一種楽しんでいたのに。
その揺れは少し長く続いた。ぐらっと急に揺れた後、リズミカルに、振り子のように揺れた後、揺れは止まった。私の体は地震が終わるとほぼ同時に止まったので、やはりさっきの揺れは地面からくるものだったのだろう。どちらでも揺れには変わりないのだが、地面からの揺れならば、私以外の、暗闇の向こう側の世界の人間や動物、その他すべてが影響を受ける。今、こうして一人の独走世界に浸っているわけで、そういう時間なのに世界に普遍的に伝わるものが感じられたということで詰めの甘さを痛感する。ガムテープで留めた窓の向こうで何が起きているのだろうか。もしかしたらかなり大きな地震で私の部屋も暗いだけでいろんなものが散乱し、食器棚は壁に追突し、食器は粉々、テレビは配線を強引に抜かれ、トイレはひび割れているかもしれない。そう、そういうことが起きていても不思議ではないのだ。しかし、音は聞こえなかった。ここは暗いだけで音は聞こえるはずだ。試しに声を出してみたがやはり聞こえる。耳から出た声が見えない部屋の角に反響し、増幅する…。いや、違う。反響などしていない。声に出したはずの音は口から出ることなく耳に直接伝わっている。骨伝道とというべきか、そういうものだろう。音も暗闇になって、私の妄想的な声に左右されるようだ。
地震の揺れと私の揺れが収まるとさっきまでいた場所とは違う場所にいるようで、クッションの柔らかさはそこにはなかった。その代りに何かに肩が当たり、それがごとっと音を出すかのように思えたが、やはり音も姿を消しているので、何も聞こえない。さて、音はさておき、何が当たったのか。手探りでその物体を触ると、箱のようなものだった。四角、立方体のそれは外装のようで、ふたのような部分を開けるとああ、これはもらったキャンドルではないか。誕生日でもなんでもない日にあの抱擁の女性からもらったキャンドル。アロマか何かの匂い付きだったはずだ。この暗闇では視覚は奪われ、聴覚も奪われた。おそらくだが嗅覚もだ。あらゆる感覚が鈍化、もしくは消滅し、代わりに暗闇の第六感ともいえるようなものが活性化しているのだろう。最も、その第六感がどういうもので、何をどう感じるかなんて何も私は知らない。
そういう暗闇での思考はともかく、このキャンドルに体が触れたのは革新的な出来事であった。これまで存在を許されたのは鞄と煙草。ライターさえ存在を許されなかったこの暗闇に新たな登場人物が出てきたのだ。さらにこいつは私の欲求とは何の関係も持っていない。自分の意志で登場してきたのだ。名前はどうしようか。人間みたいなものがいいのか。どういう性格なのだろうか、私が自由に作っていい物語に出てきたもの。
暗闇という舞台を壊す奴であることは何も考えずとも思い浮かんだので、私はそいつの特技である燈火を出させることはなかった。第一、ライターはこの暗闇にはいない。キャンドルを灯す奴がいなくては何も始まらない。舞台は場所だけ立派にそろい役者もまあ、それなりにそろってきた。必要のない役者が舞台から降りることなくただ立っているのもなんともおかしな風景なのだが、そういうものも含めてこの暗闇は出来上がるのだ。