稲藁小僧
立ち上がった女衒は逆上して再び切りつけて来るが、新吉にとって逆上した相手をあしらうことなど容易い、女衒を投げ飛ばして這い蹲らせると、その背に馬乗りになって腕をねじり上げて匕首を奪う。
「まだやるかい?」
「こ……殺さねぇでくれ……」
奪われた匕首を喉元に押し付けられた女衒は首を振るわけにも行かず、呻くようにそう言った。
「俺ぁな、さんざん悪事を重ねちゃ来たが人を殺めたこたぁ一度だってねぇんだ、勘弁してやるから娘からは手を引くと約束しちゃくれねぇか?」
「わ……わかった…………野郎!」
喉元から匕首が離れると、女衒は匕首を取り返そうと新吉に飛び掛る、しかし、それも新吉の読みの範囲内だった。
「大人しくしてくれてれば痛ぇ目に遭わせずにも済んだのによ」
「ぐえっ! ぎゃっ!」
新吉は身をかがめて女衒の拳をやり過ごすとると、振り向きざまに女衒の両のふくらはぎを匕首でなぎ払った、二度と立ち上がって来れないように腱を切断したのだ、そしてあまりの痛みに地面を転がりまわる女衒の姿に怖れをなして、腰を抜かせてへたり込んでいる高利貸しに向き直った。
「お前ぇもいい加減あくどい商売をしてきてるんだろうが、法外な高利だろうと商売には違ぇねぇや、十両ってのが吹っかけてきているんだろうってことも承知だがよ、言い値の十両を払おうじゃねぇか……ほら、こいつはくれてやらぁ、書付をこっちへ寄こしな」
高利貸しが慌てて差し出した書付を改めると、新吉はそれを提灯の灯にかざして焼き捨てた。
「これでよしと……金輪際あの一家に手出しするんじゃねぇぜ」
そう釘を刺して股の間の地面に匕首を突き立てると、高利貸しは小便を漏らしならがら泡を吹いた。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
チャリン。
常造の家ではまだ母娘が抱き合って泣いていたが、土間に響く金の音におそるおそる障子を開けると、この先母娘が暮らして行くのに充分な額の小判が……。
「おっかさん、こんなものが」
土間に降りた娘が拾い上げたのは結ばれた稲藁……。
はっと気付いた母親が急いで引き戸を開けて外を見回したが、そこにはもう誰の姿もない……。
闇に向かって手を合わせる母、そしてその意味もわからないままに母に倣って手を合わせる娘……二人の黒髪に今年初めての雪がふわりと舞い落ちた……。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
大泥棒、稲藁小僧・新吉。
彼はそれっきり人の目に止まる事はなく、おそらくは縄抜けの際にどこかの山の中で狼にでも食われたのだろうと、いつしか人相書きも貼り出される事はなくなった。
彼がどこでどうしているのか、それとも既にこの世のものではないのか、それは誰も知らない。
終わり