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稲藁小僧

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 縄をかけられて引き回されてさえ、やんやの喝采を浴びる新吉のこと、この上そのように無様な姿を晒されると非難を浴びかねない。
 目論見とは逆効果になってしまっている市中引き回し、何事も無くさっさと済ませてしまいたいのはやまやまだ。
「……わかった、だが、縄は解かんぞ」
「いや、手は解いてもらわねぇとふんどしも解けねぇよ」
「……むむ……では、腰縄だけにしておいてやるから、さっさと済ませるのだぞ」
「この世で最後のクソくらい、ゆっくり心置きなくさせてくれよ」
「ならぬ、さっさと済ませぃ」
「へぃへい、わかりやしたよ」

 腰縄を掴んでいる雑色(罪人を取り囲んで馬を引いた非人)だけでなく、検分役の武士まで着いて来たが、検分役は厠を見るなり眉をひそめた。
 長屋の厠ならば戸は上半分のみ、逃げられる筈もない、しかし、屋外にあるとは言え料理屋の厠、戸はぴったりと上まで閉まる上、不忍池に面して小窓までついている。
「戸を閉めること、あいならん」
「それじゃ出るものも出ねぇや」
 引き回し中には罪人の願いは聞き届けてやるのが通例、厠にも満足に行かせなかったとなれば余りに狭量だと言われかねない。
「むむ……おい、雑色、縄がたるまぬ様しっかりと掴んでおれ」
「へへ、悪いね」
 新吉は褌を解くふりをして、その実腰縄を解きながら厠の中へ。
 戸を閉めながら、戸と床の隙間から通された縄を掴んで素早く金隠しに縛り付けた。
「どうした、まだ終わらぬのか……おい、おい! あっ! しまった!」
 役人が声をかけた時、既に新吉は不忍池を泳いで渡っている最中だった。

▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽

 まんまと逃げおおせた新吉だったが、寒空の下、着ているものは罪人の薄っぺらな着物一枚、それもびっしょりと濡れている。
 それでも江戸を離れ、武藏国の農村まで逃げ伸びたところで力尽きてしまった。
 風邪をこじらせて肺炎を併発していたのだ。
 なんとか体力の回復を待とうと里山に潜んだが病状は悪化するばかり、このままでは死んでしまうと考えた新吉は、なにか食べる物なり盗み出そうと、いちかばちか里に出ようとしたのだが、里に下りる山路で力尽きて倒れてしまった。
 その新吉を見つけたのが常造だったのだ。

▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽

 その後数日にわたって、常造は粥を運んできてくれた。
 すると体力が回復してきたのか、新吉の熱も下がり始め、何とか動けるようになってきた。
 そうなれば長居は無用だ。
 自分の為ばかりではない、新吉が稲藁小僧と知ってしたのではないこととは言え、それが顕われれば常造にも大きな迷惑をかけてしまうことになる。
 常造はいわば命の恩人、その恩人に対して何の礼もしないまま去るのは心苦しかったが、新吉はそっと納屋を抜け出した……。

▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽

 人相書きが出回っている以上、ひとところに長居は出来ない。
 着のみ着のまま常造の納屋から抜け出した新吉だったが、路銀を調達する位はわけのないこと。
 大名屋敷ではない所から盗むのは信条に反するが、今はそうも言っていられない。
 闇に紛れて大きな商家から少々まとまった金を盗み出すと、新吉は旅を続けながら江戸を目指した。
 江戸に戻る事が危険な事は承知している、しかし、一度は戻らなければならない理由があったのだ。
 盗み出した金子はあらかた使ってしまった、しかし江戸で売り捌くには危険が伴う宝飾品などは油紙に厳重に包んで地中に隠しておいたのだ。
 今こそそれが必要だった。
 この先、商家などに忍び込まずに旅を続けるために、そして常造の恩に報いるために。

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 新吉が常造の家に舞い戻ったのは、匿ってもらってから一年余り過ぎてからだった、江戸で盗んだ品を売り捌くには旅を続ける必要があった、怪しまれないように品物を金に替えるには、一時にまとめて売り捌くわけには行かなかったのだ。
 常造も、既にあの時世話した行き倒れが実は稲藁小僧だったと言う事には気付いていることだろう、おおっぴらに訪ねるわけには行かないが、こっそり忍び込んで、いつもとは逆に金を置いて逃げるつもりだった。
 しかし、壁に貼り付いて中の様子を伺うと、なにやら様子がおかしい。
 顔を合わせた事はなかったが、母と娘が手を取り合って泣いているようなのだ。
 そっと覗いてみると、確かにそうだった。
 どうやら娘は身売りされるらしい……一体これは……。
 少し考えればわかることだった。
 常造の姿がないのはおそらく死んだのだろう、丈夫そうに見えた常造のことだ、あの時、自分が病を感染してしまった可能性が高い。
 働き手を失った一家、女房や娘も懸命に働いたには違いないだろうが、所詮女子供、少しづつ重ねた借財……財産などありそうにない百姓家だ、貸すのは高利貸し、そしてそんな輩が担保になりうると考えるのは唯一つ、娘しかない。
 しばらく別れを惜しみ、悲しむ母娘の会話に耳をそばだてていた新吉。
 どうやら娘が連れて行かれるのは今夜これからすぐのことらしい。
 新吉は心の中で常造に詫びると共に、今日、この時に間に合った事を、柄にも無く神仏に感謝し、辺りを見回した。
 この百姓家に続く道はただ一本、ならば娘を連れ去りに来る女衒は必ずその道を通る筈だ……。

▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽

「なんだ? 手前ぇは」
 女衒が道をふさいだ新吉に凄んで見せる、隣にいるのは高利貸だろう、ならば好都合、その方が話が早いと言うものだ。
「あんたたち、常造の家へ行こうとしているんだろう?」
「だったらどうだって言うんだ、お前ぇに何の関わりがある?」
「どっこい、大有りなんだなぁ、これが」
「何だと?」
「娘を連れて行くのはよしにして貰いてぇんだが……借財はいくらなんだい?」
「利子も入れるとかれこれ十両になるかな」
 傍らの高利貸が厭らしい笑みを浮かべる、娘の身売り代の相場など知らないが、十両盗めば首が飛ぶと言う位だ、おそらくは実際よりだいぶ高く言っているのだろう。
「そいつを俺が肩代わりしたら、娘は見逃してもらえるかい?」
 高利貸はにんまりとした。
 実際は何両だか知らないが、十両を受け取れれば大儲けなのだろう。
 しかし、女衒はそれでは引き下がらなかった。
「そういうわけにもいかねぇな、先様との約束もあるんだ、常造の娘は中々の上玉だからな、俺としちゃ一番のお得意に良い品を届けなくちゃならねぇんだよ、それにお前ぇ、たいした身なりでもねぇくせに十両なんて大金を持ってるのかい?」
「まあな」
「ほほう……俺としちゃ十両で娘をお前ぇに売ってやるより良い商売があるんだがな……」
「そいつは商売と言えるかどうかな……」
「野郎っ!」
 新吉がそうと踏んだ通り、女衒は懐から匕首を出して切りつけて来たが、無論、田舎のやくざ者の手にかかるような新吉ではない、ひょいと体をかわすと背中をドンと突いて女衒を這い蹲らせた。
「舐めんな!」
作品名:稲藁小僧 作家名:ST