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軍師

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役者生活も佳境を迎え、さらに円熟味を増しつつある俳優松岡新蔵は、撮影所内のSTUDIO-12 棟2F にある業界内でも安くておいしいとの評判のレストランで、午後の撮影のため軽く食事をとっていた。
そこへ見知らぬ男がひとり、対角線上の先にある窓際に静かに腰を下ろしたのである。
遠目からでもわかる彼の容姿に、普段何事につけ動じない彼も、おやっという表情で見返したのであった。それは彼の長い人生経験から会得したあらゆる物のトップだけを見聞すれば、すべて事足りるという考え方から来る一種の嗅覚のようなものである。
山の頂に登れば、近くの萌黄に彩られた山々から、遠く群青色にくすぶ尾根までを見渡せるが、7合目8合目辺りでは視野に制約を受けつつ、見識にもかけるというのである。
木を見て森を見ずの故事にもある通り、木を見ればその枝先にも目が行き、枝先の葉の模様にも心を奪われるとなれば、視野に欠けた考えにも行き着くことになると言うのが彼の主張なのである。
どこぞの政治家が、2番じゃダメなんですかと言った一言に彼は腰かけていた椅子から、おもわずすべり落ちてしまうぐらいのナーバスな感覚の持ち主なのであった。
その彼のめがねにかなう人物とは、髪は元々の黒い髪にさらに鬢油で染め上げたかのような、艶光した豊かな髪を湛え、眼光は鋭さと涼やかさを併せ持ち、小鼻から一気に高見を極めたかのような気品ある鼻は、彼の顔の輪郭に花を添えて、鼻先と唇、顎先のラインが一直線に連なった凛々しい顔立ちであった。
そこへ顔見知りのスタッフが、一つ席を空けた隣へ、体を滑らせるように、侵入してきた。
そのわずかな気配にきずいた彼は、同じ間合いで振り向くと、松岡新蔵:「やあ、君か、まるで彼女の横にでも潜り込むかのようなしなやかさだね」スタッフ:「からかわないで下さいよ、松岡さん、食べるのも忘れ,何かに気を取られていた様子に見えたので、気を利かしただけですよ」と言われ、自分は周りに気づかれぬようそっと見ていたつもりだったのだが、人の目とはそんなものかと思ったのであった。
彼は総務・経理・人事の集合体である管理本部に席を置いていたので、彼ならば私の問いには明快に答えてくれるだろうと思い、松岡新蔵:「すまない、つい、下賤な事を言ってしまった」と謝罪の意味を込めて言いそして間をおいて、再びスタッフの方を向きながら、少し気になる事があってね、と言い終わるか終らないうちに、スタッフは空いた席を埋めるかの様に身を乗り出して来た。
そして心得ているとでも言わんばかりに、声のトーンを落としながら、スタッフ:「あの窓際に座っている人物の事でしょう、彼は経理事務職として社に入って来たのですが、製作スタッフサイドから、今度の俳優オーディションを受けさせて見てはどうかとの話がありまして」松岡新蔵:「ほうー、・・・それで面接の方は無事に済んだのかい」と、ランチタイムも盛りを過ぎ、人々の会話も途絶え、食器を片づける音のみ響く中、小声で催促するように聞き返したところ、スタッフ:「それが、ちょっとした事件になりまして」松岡新蔵:「事件?」スタッフ:「事件というか、二次試験に臨んだ受験生達と彼が、監督や脚本家、助監督、製作スタッフ達の前で面接を受けたのですが」スタッフ:「それは一人ずつ自己紹介・自己PR・特技披露・実技審査をするものなのですが」スタッフ:「彼の番になり、自己紹介・自己PRは無難にこなし、特技の剣道も腕前を披露すると言う事になり、それが審査委員達からも、ほおーと言う声が漏れたくらい見事だったそうです・・が」スタッフ:「次に実技審査におよんだ折に、監督から声が掛り、君、・・・・・・・と突然言われて、そのー」と、急に口籠ってしまった。
松岡新蔵:「そのーはなんだい、まさかここまで言って、ここから先は守秘義務にあたるから話せないとでも言うんじゃないだろうね」と、長年の役者生活の落とし所を心得た物言いに、スタッフもついに折れ、さらに声を低くしながら、スタッフ:「ここだけの話として聞いてくださいよ」と念を押し、オーディションの状況を話し出したのであった。
つまり彼が言うには、監督は一人一人に即興で、より自然に、かつリアリステックな演技・表現であるメソッド演技法を試したのである。
・・・古典的な演劇手法よりは、現実に近い自然な演技を追求するもので、代表的なメソッド演技としては、映画「波止場」で、兄から銃を突き付けられ、なだめようとするマーロン・ブランドや、「エデンの東」で父親の胸に泣きすがるあの有名なシーンのジェームス・ディーンなどが知られる。・・・
受験生達は皆、監督から与えられたテーマに真剣に取り組み、急に大声で泣き出したり、怒りを爆発させたり、かたくなに沈黙を押し通したりと、未熟ながらそれぞれの工夫を凝らした演技を披露したのだが、彼の番が回ってくると監督はひときわ大きな声で、君、笑ってみたまえと言ったのである。
まあ普通は場の流れからすると此処は、大声で笑って見せるか、苦笑するか、にやりと笑い慎重で肝の据わった懐の深さを見せるかぐらいなのだが、彼の取った行動には私も驚いた。
なんと彼は凛とした歯切れの良い声で「面白くもないのに笑えるか」と発し、さらに顔を横に向けたのである。
これには場も凍りつき、審査委員達が、逆にメソッド演技法を試されたかのように、様々な怒りを体現していたのだが、助監督だけが笑みを湛え、いいものを見させてもらったと言わんばかりの表情をしていたというのであった。
・・・のちに彼のよき理解者になるのだが。
ここまで聞き終わった松岡新蔵はその後スタッフと別れ、足早に午後の撮影現場へと向かうのだが、その途中何かしら身体の奥底から沸々と湧き上がるマグマのようなものを感じて顔がもえたち、曙色に染まっていくのを感じた。
かれは天才かとふっと思った。
自分は今の立ち位置に来るまでには、演技の修行はもちろんの事、大御所と呼ばれる俳優陣や、同僚、スタッフ、製作関係者に至るまで、細心の注意を払い、人付き合いをしてきたつもりなのだが、なんと彼はその審査委員たちが居並ぶ目の前で、大胆にも監督の意向を跳ね返すような態度をやってのけた。
普通畏れ多くてとても新人にとれるものではないのだが、その後何事もなく無事鞘におさまったというのも、なにか人知及ばぬ彼の並々ならぬ器量と天運のたまものであろうか。
もちろん助監督の水面下での静かなる力添えがあったのも確かなようなのだが。
この大峪(おおたに)公(あきら)助監督は、映画業界ではすでに誰もが知らぬ者のいない存在であり、原作から脚本、また独創的で色彩豊かな絵コンテなどをもまねき、まだ弱冠30歳を越えたばかりながら将来の映画界を背負う逸材として嘱望され、特に人物を見抜くまなこには定評があったのである。
その彼がお墨付きを与えたとでもいうような態度で接したので、凍りついた会場が一瞬で溶解してしまったと言う事かと思ったのだった。やがて程なくして今の監督が禅譲する形で、大峪(おおたに)公(あきら)助監督を後継者に指名したのである。彼の意志というよりも、経営サイドや管理本部筋からの意向をくみ取ったシナリオであった。
作品名:軍師 作家名:森 明彦