年齢操作
◇
今から三十年くらい前というと、高度成長の象徴でもある団地が、集合住宅として確立し、整備され始めた頃だった。世の中は次第にものが不足することもなく、新しいものがどんどん生まれる時代で、上ばかりを見続けていればいい時代だった。
――だった――
という表現をしているが、実際にそんな時代を詳しく知っているわけではない。やっと学校を卒業し、就職しようかと思っていた時代。胸をわくわくさせていたように思っていた。
男の名前は島崎敏夫という。
敏夫はどちらかというと友達は少ない方だった。
「あいつは考え方が人と違うからな」
と言われるほど、一つのことに凝り固まると、そこから抜けなくなってしまったり、普段から、
「俺は他の人と違う考え方をしていると言われる方が好きなんだ」
と言うくらい、変わり者と言われても、気にしないタイプだったのだ。
確かに大学には、いろいろな考えを持っているやつは多いが、その中でも敏夫は特別であろう。
そんな敏夫は高校時代まで、ほとんど人と話をすることはなかった。
――話をしても、誰も相手をしてくれない――
と思っていたからで、それが大学に入ると話を始めたのは、同じような考えの人が他にも何人かいるのを知ったからだ。
高校時代というと、出席番号で席が決まっていたが、大学に入ると、講義室のどこに座っても構わない。そうなると、ある特徴があることに気付くのだが、中間あたりに座る人が少なく、ほとんどは後ろに集中している。その中でも最前列に座っている連中は、一生懸命に講義を聞き、勉強しようという意思が十分に伝わってくる。
敏夫は、自分がそんな連中と同類であることに気付いた。皆それぞれに個性は感じるが、根本的なところでは同じなのだ。個性を保ちながら、根本的なところが同じ連中ほど、話が合うと思うのは敏夫だけではないだろう。
ただ、そう思っているのは、最前列の連中ばかりで、後ろの方で、授業に参加しているかしていないのかハッキリしない連中に分かるはずはなかった。
敏夫はそれでいいと思っていた。
――あんな連中に分かってもらおうなんて思わないさ――
そういう意味で敏夫は、今の社会があまり好きではなかった。
個性のある人は多いのだが、そんな連中が表に出ることはあまりない。最近立ち並んだ団地のように、どこを通っても同じものでしかないような世界に、少し限界を感じているほどだった。
「どこを見たって同じじゃないか。まるでどこを切っても同じような金太郎飴のようじゃないか」
と言っていたが、
「まさしくその通りだな」
と言いながら、その友達は、時々悩んでいたようだ。
「限界というのはどこにでもあるもので、俺はその限界が最近よく見えるんだ。いくら個性的だと言っても、結局はその限界の中で踊らされているだけのように思えてならないんだよね。俺は限界を見てしまったことを後悔しているんだ」
と言っていた。
「そんなことはないさ。限界なんて自分が勝手に決めた結界さ。俺にはそんなものは見えないけどね」
と、敏夫は言ったが、本心から口に出しているわけではない。敏夫にも限界が感じられないわけではないが、それを限界だとは思っていない。自分でも言ったが、結界なのだ。結界であれば、どんなに難しいことでも突破することができる。自分で勝手に結界と思っているのなら、誰かの力が加われば、いとも簡単に破ることができるものなのかも知れない。
敏夫は、結界の向こう側が見えたような気がした。
それは、こちらの世界と同じようなもので、まるで鏡を見ているようだ。
――結界というのは、その向こうに鏡を持っているのだろうか?
鏡はまったくの左右対称である。敏夫には、同じ世界だとは思えない。こちらの世界よりもわずかに広い世界であり、人や建物の大きさは変わらない。どこかに余裕のようなものが存在することで、広さを感じることになるのであろうそれはまるで交わることのない平行線に似ていた。
――二十歳過ぎればただの人――
という言葉があるが、この言葉を敏夫はいつも気にしていた。
二十歳という年齢にこだわっているわけではなく、人間にはターニングポイントがあり、どこかまでは何も考えなくても成長できるが、ある一点を境に、それがままならなくなり、成長するために乗り越えなければいけない壁があるのだと思っている。
高校時代までは、強く意識していたが、大学に入るとともに、忘れかけていた。その年齢に近づいてくると、敏夫は自分がそのことを忘れかけていることに時々気付いてハッとすることがある。
――逃げているのかな?
とも感じるが、逆に近づいてくることで、感覚がマヒしてしまうこともあるのだという意識が芽生えてきたのも事実だった。
もちろん個人差があるので、いつ訪れるかも分からない。年齢というよりも、精神年齢に近いものであるならなおさらで、精神年齢ほど自分では分かりにくいものはないと思っているからだ。
――皆、一生懸命に勉強して大学に入ったはずなのに――
後方の座席にいる連中は、出席するだけが目的である。講義の前に出席を取った時にはたくさんいた学生が、講義が終わる頃にはほとんどいなくなってしまっているなどという光景は、日常茶飯事であった。
「教授はこれでいいのかな?」
「いいんじゃないか? 教授こそ自分の研究ができさえすればそれでいいのさ。それでも寂しいと思うのなら俺たちが一番前に陣取って講義を聞いてあげているんだから、それでいいんじゃないか?」
どうにもやる気など失せてしまうセリフである。
だが、そんなセリフも慣れてくると、虚しさよりも感覚がマヒしてきたことに対して、
――俺だけは、他の奴らとは違うんだ――
という意識が強くなってくるのを感じる。
元々あった感情ではあるが、
――他の連中と同じでは嫌なんだ――
という気持ちがさらに強みを増す。この気持ちが基本となって、大学生活の中心に居座っているのだ。
高校時代までは男子校だったが、大学に入ると共学である。男臭い男子校の中にいれば、自分が男であることを恥かしく感じるほどの気持ちになり、それがそもそも、
――俺だけは、他の奴らとは違うんだ――
という考えの元になっていた。
――女を求めているのだろうか?
高校時代にはそう思っていたが、実際に女性がまわりにいないので、女性がそばにいるという感覚を想像することすらできなかった。もしできたとしても、それは妄想というだけではなく、自己嫌悪に陥るだけの十分な精神状態になる感覚があった。それだけ男の中にいる自分に違和感があるくせに、女性を想像することはいけないことなのだという矛盾した考えを生む結果になるのだった。
敏夫は中学の頃までは身長が低かったのに、高校時代に一気に伸びて、大学に入学する頃には、百八十センチを超えていた。当時百八十センチを超えるというのはすごいことで、自分で考えているよりも、相当目立っていたに違いない。
実は敏夫は知らなかったようだが、密かに女性の間で人気があったようだ。中には、
「あの人、変わり者よ」