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③残念王子と闇のマル(追項有10/8)

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アロマの狂気


部屋へ案内されたカレンは、女官がいなくなった途端、不機嫌にその場に上着を脱ぎ捨てる。

私が無言でそれを拾ってたたむと、カレンは荒々しく椅子へ腰かけた。

「なんで、従者として控えるなんて言ったんだよ!」

胸元のボタンを緩めながら、こちらを鋭い目付きで睨む。

「婚約者ってバレたんなら、それで良かったのに!顔が腫れていようと僕は構わない、って何度も言ってるじゃん!」

言いながら、指輪を外して壁へ投げつけた。

「婚約者だったら同室できたのに…いや同室できなくても、一室は与えてもらえたはずじゃん!」

カレンは冠を放り出すと、ピアスも外してテーブルへ投げつける。

「騎士の部屋で寝泊まり…って、なんだよ、それ!」

私は俯いたまま、冠を拾い、ピアスと指輪をケースへ片付けた。

その私の腕を乱暴に掴むと、カレンは私の顔をまっすぐに見つめてくる。

「男ばっかの部屋で、なんかあったらどうすんの?」

(…。)

何も言えず俯く私の腕を、カレンは力強く引き寄せると、胸に抱きしめた。

「警護が必要だから、って言ってさ、ここに控えれるように、王妃様にもう一回交渉してみよう?いや、そもそも婚約者なんだしさ…」

「ダメです。この顔で婚約者としてカレンの傍には立てません。それは、カレンだけでなく、おとぎの国の品格に関わります。それに、一度認めたことを覆せば、それはおとぎの国の信用に傷がつきます。」

私はカレンの胸に手をついて身を起こすと、その美しいエメラルドグリーンの瞳を見つめ返す。

「大丈夫です。私は忍ですから。」

カレンの瞳が、不安そうに揺らぐ。

「それに、『忍だから』かもしれません。」

「え?」

私の言葉に小首を傾げるカレンの膝から降りると、私はカレンの靴を脱がせ、スリッパに履き替えさせた。

「忍は…諜報したりしますから…。」

カレンと自分の鞄から旅の間にためていた洗濯物を取り出すと、私はそれを抱えてカレンに笑顔で頭を下げる。

「洗濯をして参ります。ゆっくり寛がれていてください。」

カレンは、無言で私を見つめ返すだけだった。


私は女官に教えてもらい、洗濯部屋へ向かった。

(…頭が重い…。)

この国に入ってから、むせ返るようなアロマの香りがずっとしていて、それに酔った気分だ。

忍は自らの気配を消すために、香りを身に纏わない。

カレンも、香水をつけるタイプでないので、こんなに香りの中にずっと身を置くのは初めてだ。

しかもさっきのカレンの部屋は、殊更香りが強かった。

(もしかして、あの香りのせい?)

カレンは、怒ったとしてもあんなに物を投げるようなことはなかったのに、先程はそういう制御が効かない様子だった。

この洗濯部屋も、強い香りがしている。

私は頭をおさえながら、洗濯をした。

なんとか頑張って洗い終えると、それを持ってカレンの部屋へ戻る。

扉をノックするけれど、カレンの返事がない。

(寝てるのかな?)

返事はないけれど、扉を開けて中に入る。

そしてリビングに入るが、カレンの姿がなかった。

(御手洗いかな?)

さして気にもせず、そのまま部屋を横切って乾燥部屋へ向かう。

洗濯物を全て干し終えて、籠を抱えたままリビングへ戻ると、カレンが頭をおさえたままソファーに横たわっていた。

(ここで横になってたから、見えなかったんだ。)

私は籠を置くと、鞄から解熱鎮痛剤を取り出した。

「カレン、大丈夫ですか?」

水と一緒にテーブルへ置いて、額へそっと触れる。

(ちょっと微熱がある…。)

私が頬に触れると、カレンが気だるげにこちらを見た。

その視線は、熱っぽい。

「薬を飲んで、ベッドで休んでください。また晩餐の時間になったら、起こしに来ますから。」

私の言葉に、カレンは辛そうに頭を抱えながら起き上がる。

私が薬と水を渡すと、カレンはそれを一気に煽った。

口の端から水が零れ、喉を伝う。

拭おうと手を伸ばすと、カレンは手の甲でそれをぐいっと拭いながら、伸ばした私の手首を掴んだ。

そして拭った掌で私の腫れた頬にそっと触れる。

親指で切れた口の端をなぞり、瞳を険しく眇めた。

「僕がもう少し早く駆け付けてたら…。」

歯軋りしながら呟くと、私の手首を掴んだまま立ち上がり、強引に腕を引っぱって寝室へ向かう。

寝室の扉を開けると、アロマの甘やかな香りが強烈に漂い、私もくらりと目眩がした。

「…んだ、これ…。」

よろけたカレンの呼吸が浅くなる。

私は慌てて、カレンを支えた。

そんな私をゆっくりと振り返ったカレンの表情は、獣のように猛々しい目付きで妙に艶っぽい色気に満ちていた。

私は咄嗟にその手を振りほどくと、数メートル後ろへ飛び退く。

「カレン、この香りはおかしいです。…理性を、狂わせる。リビングのソファーで休みましょう。」

カレンも自分の異常に気がついたのか、小さく頷くとリビングへ戻った。

私は急いで窓を開け放ち、空気を入れ替える。

外も色んな香りに満ちているけれど、この部屋の人工的な強烈な香りとは違うので、まだ心地好い。

カレンはソファーへ倒れ込むと、突っ伏したまま片目だけこちらへ向けた。

「マル、そばに…。」

そこまで言って、意識が途切れる。

気を失うように眠ったカレンが心配で、私はその背中を撫でた。

しばらくは頬を紅潮させたまま体温も高く、浅い呼吸を繰り返していたけれど、だんだんといつもの穏やかなものにかわり、体温も落ち着いてきた。

私はホッと息を吐くと、カレンの頭にそっと口づけを落とす。

「おそばにいますから、ゆっくり休んでください。」

うつ伏せで眠るカレンに、寝室から布団を持ってきて掛けると、カレンが小さく寝言を言った。

「マル、ごめん…助けるの…遅くて…。」

カレンは、ずっと後悔していたのだ。

カレンには何の落ち度もないのに、いや、むしろよく助けに来てくれたと感謝すらしているのに…カレンは私以上に辛い思いをしてくれていた…。

もう、それだけで十分だった。

こんな汚れたら体でカレンの傍には立てないと、常に後ろめたさがあったけれど、カレンはそんなこと気にしていないのだ。

それならば、私も堂々と胸を張ろう。

「カレン…大好きです…ありがとうございます。」

私はカレンの背中に頬を寄せ、その柔らかな金髪をそっと撫でた。