Scat Back
11.由香のリハビリ
「そう、東山君が……」
その日、試合の帰りに由佳を見舞ったが、こっちの気分も少し落ち込み気味だ。
「安岡君はどうなの? まだ大分力は落ちる?」
安岡と言うのは控えの2年生クォーターバック、体が大きく(*1)走力がある、東山とは違ったタイプのクォーターバックだが、まだ試合経験がほとんどなく、東山と比べるのは酷と言うものだ。
「そうだな、短いパスは結構いけるけど、長いのはまだまだだな、コントロールがイマイチだからインターセプトが怖いよ、特に入れ替え戦みたいな重要な試合ではね」
「でも、彼は走れるでしょう? リードオプション(*2)の練習してたんじゃない?」
「ああ、でも、来週までに完成するのは無理だ」
「リードオプションは無理でも、ラン主体で行くしかないわね」
「確かにそうだな」
「鷲尾君の見せ場じゃない」
「最下位とは言っても、相手は1部のチームだからな、そう簡単じゃないよ」
「なに弱気を言ってるのよ、ハードヒット恐怖症は克服したって威張ってたじゃない」
「そうだな……ランだって田中が強くなってるし、安岡も走れるんだから去年よりも強力になってるんだよな」
「そうよ、東山君の怪我は確かに痛いけど、諦めムードじゃ勝てっこないわ、しっかりしてよ」
「ははは、由佳の苦言、久しぶりに聞いた気がするよ」
「あのね、昨日から車椅子乗り始めたの、来週の試合に間に合わせたくて」
「おい、無理は……」
「だって一年間の目標だった試合よ、トレーナーにだって大事な試合、何とか間に合わせるから」
「わかった、お互いに弱音はなしにしようぜ」
「うん、指きり……の代わりは?」
「え? ああ……」
俺は由佳の額に……。
「まだ足りないな……」
「そ……そうか?……」
俺は由佳の唇に軽く……。
「もうちょっと……」
「……」
俺は由佳の細くなった肩をしっかり抱いて唇を重ねて行った……。
入れ替え戦までの2週間、俺は敢えて由佳を見舞わずに練習に専念した……と言いたいところだが、実は1回だけ病院には行った。
由佳は病室ではなく、リハビリ室にいた。
手摺に掴まって車椅子から立ち上がる、たったそれだけのことだが、今の由佳には容易なことではない、何度もトライしてようやく立ち上がれたかと思うと、腕が身体を支えきれずに前のめりに倒れてしまう、療養士がなだめるように声を掛けても、由佳は首を横に振ってなんとか立ち上がろうともがく……その懸命な姿に声を掛けるのもためらわれて、そっと帰ってきてしまったが、その勇気、その頑張りを俺は心に深く刻んだ。
もちろん、その様子はチームのみんなにも話し、俺たちは気持ちを引き締めて練習に打ち込んだ。
そして、試合当日。
敢えて由佳に声掛けをすることはしない、とチームで取り決めた。
声を掛ければ由佳は無理をしてもスタンドにやってくるだろう、しかし、その事で回復に支障があってはいけない、そう考えての事だった。
果たして、スタンドに由佳の姿はなかった、医師の許可が出なかった可能性もある、残念だが仕方がないことだ、俺は少なくとも試合の間は由佳の事は忘れて試合に没頭しようと心に決めた。
入れ替え戦の相手はS大、1部リーグで全敗だったが、いくつかの試合では接戦を演じている、俺たちが練習試合で苦もなくひねられた強豪チームとのスコアを見ても、そう大きくは点差を空けられてはいない。
しかし、ランを中心に地道に攻めるチームでもある、ロースコアの勝負に持ち込められれば、こちらにも充分に勝機はある。
「4年生にとっては最後の試合だ、そして3年生以下にとっては1部昇格がかかった大事な試合だ、俺たち4年生はこれに勝っても1部で試合は出来ないが、昇格は4年間の夢だった……勝って由佳にも良い報告をしてやろうぜ!」
円陣の中心で山本が檄を飛ばし、俺たちは大きく吠えて円陣を解いた。
遂に決戦の時はやってきたのだ。
注釈
*1)体が大きく……:クォーターバックは特にブロック等をするわけではなく、小柄でも務まるポジションであるものの、特に体が大きいことが条件になるディフェンスラインに囲まれても視野が開けていると有利であり、ラインの頭越しにパスを投げるケースもあるため、プロでは185cm以上が主流です、またタックラーをギリギリまでひきつけてパスを投げるケースも多いため、華奢な体格では怪我も多くなります。
*2)リードオプション:ラン攻撃に特化したプレーで、スナップを受けたクォーターバックはその瞬間に相手の動きを見極めて、ランニングバックにボールを持たせるか、自分でボールを持って走ることを選択します、判断力と走力に優れたクォーターバックがいる場合有効な戦術です。