認識することの難しさ
「真の値を求める」
これはほぼ不可能なのだ。
例えば10÷3=3.333333…である。…で濁したが、3は小数点以下、永久に続く。
しかし、10÷4=2.500000…である。これは筆算で小数第一位を求めたとき、余りが0になるから、真の値を求めた、と言えよう。
これはいわゆる机上での話だ。
では実際の世界はどうなっているのか。
先日、印を持たないが品揃えが良く、良品を置いている店を訪れた際、チノパンを買った。店員に丈を測ってもらった。その店員も丁寧で、その店がまたスキになった。決して店員を好きになったわけではない。おそらく巷ではカワイイと定義される人だったと思うが、私はズボンの丈に集中していたので、その姿をよく観測していないので、その程度しか覚えていない。
問題はそんなところではない。その丈についてカワイイ可能性の高い店員が、メジャーを持って尋ねてきた。
「73か74か、どちらにしますか?」
73にした。カワイイ感じであっただろう店員は、短足の自分に、おそらく興味を抱かなかっただろう。しかし、私は、そんなこと問題ではないのだ!
73.0と74.0の間には73.1から73.9まで目盛りがあった。そして73.00と73.10の間には、73.01から73.09までが表示されてはいなかったが確実に存在し、わらに細かく刻んでいくこともできる。
その小数点以下はどこまで続くのか。無限に続くなら、真の値を知るすべはない。
ズボンのように、小数点以下を記録して更に精密に調べることができるなら、まだいい方だ。
場合によってはそれを記録してもいつの間にか消えてしまうものもある。
例えば人間関係の場合、ちょっと期間が開けば相手の気持ちを忘れるかもしれない。そしてそのまま関係を開始すると、どうなるのだろう。まあ、大抵どうもならないと思う。
ただ、それが恋人同士ならどうか。嫌な予感がする。上司と部下。嫌なことが起こりそうである。
そういった人間関係において、相手の、ある気持ちを数値で表せた場合、読み取るのは自身である。
当然人間であるから、忘れる。そしてそのままの状態で、新たに小数点以下の数値を読みとる。もしくは以前得た小数第n位を忘れ、その前に得た第n-5位から第n-1位も忘れていたら、そこからやり直さねばならない。「めんどくさい。だるい。だいたいの感じで数字当てはめとけ」と、言われたり思われたりされそうである。
それが良いのか悪いのかはケースバイケースだが、真の値から遠ざかっていくのは確実だ。
そして数式の中に無限大が出てきた。もうこの時点で、真の値を求めるのは不可能だ。なぜならば、無限大を実行することは決してできないからだ。当たり前すぎる。
しかしだからと言って、真の値を求めようとする意志を捨てるべきなのか?
私はまだ捨てようとは思っていない。
嗚呼。先生は読んでくれるのだろうか?
作品名:認識することの難しさ 作家名:島尾