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認識することの難しさ

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「認識」とは、英語に訳すと、recognition(認識すること)、knowledge(知識)、understanding(理解していること)、awareness(気づくこと)、perception(認識の仕方)という、5種類あることを知った。和英辞典で調べたのだが、perceptionの説明がいまいち分からなかったので、それを英和辞典で引いてみた。すると、
 一、知覚(すること)、認知;知覚力。
 二、理解(力);(…という)認識〔that節〕
 三、知覚[感知]されたもの
というふうな訳だそうだ。(that節。懐かしい。…あ、う、ウソです!)
 一、について、用例があった。いくつか挙げよう。
   壱、his perception of the danger(彼がその危険に気づいたこと)
   弐、His perception of color is poor.(彼は色弱だ。)
 弐、は、直訳すると「彼の色の知覚力は弱い。」となる。なんとなく、ターコイズブルーとスカイブルーの違いが分からない、色ではなく味で例えるなら、「〇×ラーメン屋の醤油ラーメンはすごくおいしい」と口走り、「△□ラーメン屋の醤油ラーメンはめっちゃおいしい」とぬかす、味に鈍感な人間、それが弐、における「彼」だと、最初思った。鈍感すぎて例文になったのか、この「彼」は。それは、なんと不名誉なことか。ああ可哀そうに。
 しかし辞書の訳文に「色弱」と書いてある。私はそれを「イロヨワ」と間違えて読んでしまった。国語辞典でそう調べても出てこなかった。
 なので、視点を変える、と書いたら非常に大げさだが、「シキジャク」で引いてみた。
 すると、当初の私の考えが大きな誤りであることを知らされた。
 「色弱」とは、比較的軽い、先天性の色覚異常の、昔の言葉だったのだ。
 色覚異常者に対し、私は可哀そうに感じる。普通人間は3色型色覚で、しかし彼らは3色のうちいずれかの色を感知できない。
 しかし、彼らはどう思っているのだろうか。それに苦悩しながら生活している人は、おそらく少ないのではないか。そんなことをいちいち悩んでいたら、ありとあらゆる活動が非常にしにくくなるだろう。多分、慣れるのだろう。
 その場合、「可哀そう」という思いは誤りである。当事者にしてみれば、の話だ。
作品名:認識することの難しさ 作家名:島尾