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初秋の朝と夜

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「そんなんで、面白いのでしょうか」
「あなたのキャラクターはいいと思います、できるはずです」
実に巧みだ、まるで新興宗教への勧誘である。
「めずらしいですか、わかりますか」
「めずらしいですよ、わかりますよ」
「頭は動いています、頭と別のところで、下半身だけ反応させるのです」
「簡単なことではありません」
「面白そうでしょ」
「相手によりますね」
心地よい会話である。卑猥な内容を淡々と説明している。すごいと感心した。ふたりの間に、濃密な雰囲気が醸し出される。
「そうです、相手によりますね」

「ところで、いま、なにか、迷っておられることはありせんか」
男が話題を変える。
「マンションを買おうかどうか、迷っています」
「自己資金、いくらぐらい貯まりましたか」
「2000万ほど、あります」
「家賃はいくらですか」
「8万です」
「それなら、4000万ほどの物件が買えますよ」
「ローンはあまり、考えて無くて」
「負債と資産は両建て、心配はないでしょう」
「家賃、払っている方が気楽でいい」
「それはどうかな、ライフプランが出来てないから、迷っているのです」
「貯金が目減りしていくような不安感、わかります?」
「秋は実りの季節ですが、憂鬱な気分にもさせますね」
「私、秋は好きです」
「冬まで時間がない、どう選択するかが問題でしょう」
「そうなんです、結婚とか、両親との同居とか」
「女性はなにもかもが決断じみていて、たいへんです」
「男性は違うのですか」
「男は、選択ですね、決断というよりか」
「なるほどね、不動産、見に行くのは好きですが、決めないから、もう嫌われています」
「彼氏はおられますか」
「もう、8年ぐらいつきあっているんです」
「ふーん、なにか、もっと大きな目標を持った方がよいでしょう」
「私、すごく、モナコのお話とか、興味を持ちました」
「お金持ちとおつきあいすれば良いのです。自分のためたお金を減らす必要はないのです」
「そんな、うまいこといくのかしら」
「あなたのキャラなら、いけますよ。でも、女を磨かないと」
「どうすればよいのでしょう」
「社交ダンスを習って、服装もがらっと変えましょう。ハイヒールを履きこなせるようになって、それから、スイミングで自信をつけてください。泳ぐのはおすすめです。」
男はたたみかけるように話した。
「なるほど、おもしろそう」
「面白そうでしょ」
「知らない世界に入るみたい」
「脱毛しているのですよね、きれいな肌ですね」
「はい」
「あそこはどうですか」
「あそこって」
「下の方」
「ああ、そこはしてないですね」
「エステで脱毛してもらってください」
ファッションばかりか、肉体改造まで求めている。
「さっそく、予約してみます」

「それから、大事なことをひとつ、今つきあっている彼とはもう会わない方がよいですよ」
「なぜでしょうか」
「あなたの変身ぶりにつきあっていけないでしょうから、じゃますると思いますよ」
「おとなしくて、やさしいのです」
「おとなしくて、やさしいだけでしょ」
「たしかに、お互い満足して無いと思いますわ」
「そうでしょ、二度と、マンションへは入れないで下さい」
ほんとうに、的確な指摘をしてくる。ずるずると、関係が続いているだけなのかも知れない。
「わかりました、そうします。彼は驚くと思います」
「あなたの部屋で、適当なセックスをして、満足しているだけです」
「二度と入れません」
きっぱりと言い切った。
男は満足げに、笑みを浮かべた。
「あなたの変身ぶりが、とても楽しみです」
「勉強したいのですが、参考になる本はありますか」
「そうですね、森村誠一の「夢の原色」がいいでしょう」
女はすぐには理解できなかった。
「推理作家ですね、読んだことはありませんが」
「もっと、別の作家の本を薦めると思っていたのでしょ。森村誠一は彼らしく、高級娼婦のことをていねいに描いています。作り話とは思えないほど、リアルに性欲のいろんなパターンを、とても役に立ちますよ」
「今日は貴重なお時間を有り難うございました。あまりに中身が濃いので、ちょっと消化不良ですが、挑戦したいと思いますので、どうかよろしくお願い致します」
女は男に礼を言った。占い師のごとく、ずばりと言いあてられているようで、男の問題提起にはまってしまった。はまる、と言う経験は久しぶりだった。
食事を終わると、男は、あっさりと別れのあいさつをした。女はお礼の言葉を繰り返した。期待はずれだったが、こんな有名人が自分のような平凡の女を誘うこともおかしいと言い聞かせた。つぎのチャンスを待つという楽しみがある。
帰路、思い切り変身して、お金持ちたちとつきあうのだと、自分自身に命令した。これからのことは、女の飛躍なのだ。
夜道を歩いていると、からだの芯が濡れていて、あふれ出したのがわかった。この感覚を楽しみながら、鴨川の堤防をゆっくりと歩いた。恋人たちがすれちがう。もう彼らには関心がない。けっこう、猥談ぽいかったのに、素知らぬ顔して、話していたものだ。そうだ、こういうことなのかと、男の話の少しは、わかってきた。

しばらくして、男から、手紙が届いて、びっくりした。手紙なんて、もうずいぶんもらったことがない。横書きながら、本来の縦書きの形式をふまえた、ていねいな内容だった。メールですませることばかりだから、手にとって眺めながら、正直、感動した。
振り返れば、男性とのつき合いは、どこか、上書きに似たところがある。これからは、オールクリヤーだ。過去のトレースではない。
マンションを購入せずに良かったと思う。貯金があるのは頼りがいがある。自分のむつかしい判断を支えてくれる。マンションを買っていたら、もう平凡などこにでもいるようなキャリア女性の日常で終わってしまっていたのだろう。
女は小ぶりの乳房をつつむブラジャーに悩んでいて、オーダーの下着をあつらえてくれるマンション工房を、ネットでさがして、通っていた。そこの経営者の女性が、「人生にサクセスする10の方法」というセミナーを紹介した。参加費用が10万、しかも東京なので迷ったが、熱心にすすられて、遊びがてら、出かけていった。ところが、モナコで住んでいるこの講師の話しを聞いて、舞い上がってしまった。

社交ダンス自体も面白かったが、男性たちはだれも上品で、女性への接し方がまるで違っていて、驚かされた。ヨーロッパの上流社会にいるように思えた。
服装は本格的なドレスのほか、性的魅力を強調する、これまで身につけたことがないような派手な服を、女性経営者の工房で入手した。高いものもあるが、リユースの手頃な価格で着たい服が少なからず見つかった。すすめ上手である。
たばこの銘柄はなにがいいのか、どのタイミングで吸うのかなどと、考えてみる。素直に伸びた足を見せながら、ハイヒールをカツカツと鳴らして歩く。背筋もまっすぐに伸びている。
講師は女の発想が自由になるよう、レポートをくりかえし書かした。書いていると、何かができそうになってくる。手が届きそうになる。
作品名:初秋の朝と夜 作家名:広小路博