池の中の狂気
家政婦はこの旦那とは当然面識が無かったが、自分が嫌いなタイプの男であることは、すぐに想像がついた。
「奥様は、絶対に起こすなと仰っていましたので、困ります。」
「何を言っている! 私が起こせと言っているのだから、お前はそれに従えばいいのだ!」
「旦那様、それは出来かねます!」
家政婦は奥様に電話を取り次ぐことは簡単だった。しかし、どうしてもそれを避けるように強く、指示されていた。そして、その理由も彼女はよく分かっていた。
「今すぐ妻を起こさないと、お前はクビだ!」
彼女はその言葉を聞いて気分を害し、もうどうでもよくなってしまった。
「あー、分かったわよ。あんたが今どんなトラブルを抱えてるのか知らないけど、今日一日でこの家がどんな家なのか解かった気がするわ。」
「なんだと貴様・・・」
「こっちの都合も聞かないで、早速今日から仕事しろだとか、嘘ついて電話を取り次ぐなだとか。面倒が多い家のようね。それですぐ家政婦が辞めてしまうんでしょ!」
「うるさい! そんなことは妻の責任だ! 私は関係ない!」
「そうでしょうね。夫婦関係も冷え切ってるって感じじゃない。あんたの女房が今、寝室で何をしてるか教えてあげましょうか。」
「ど、どういうことだ?」
「若い男と一緒にいるわよ。」
「な!?・・・」
「もうこんな家こっちから願い下げよ! 気になるんなら、あんたがすぐに帰って来ればいいわ!」
家政婦は受話器を置こうとした。
「待て! 待ってくれ。頼む!」
電話の向こうで懇願するように声の調子が変わったことに、彼女は気がついた。
「なによ。」
もう一度受話器を耳に当てて、相手に聞いた。
「君はお金が欲しくはないか?」
「そりゃ誰でもお金は欲しいでしょ。」
「頼みを聞いてくれたら、たっぷり礼をやろう。」
「たっぷりっていくらよ。1万ドルくらいくれるって言うの?」
「・・・そんなもんじゃない。10万ドルやろう。」
「何ですって!」
「だから、妻を殺してほしい。」