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夏祭りの少女(掌編集・今月のイラスト)

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この神社の夏祭りは何十年ぶりだろうか……。
 子供の頃は他に娯楽らしい娯楽もなく、夏祭りを指折り数えて楽しみにしていたものだが、久しぶりに訪れた祭は存続しているのがやっと、と言うようなささやかなものになってしまっていた。
 露店も出ておらず、いつもは真っ暗で静かな神社に提灯が灯されているだけ、年寄りたちのお囃子も聴き手がぱらぱらでは元気が出るはずもない。
 空に蓋をしてしまったような東京と違い、夜ともなれば過ごし易いのだが、そこにすらうら寂しさを感じてしまう。
 
 正吉はこの村出身の民俗学者。
 80歳になったのを契機に大学教授の職を辞して、数年前に兄が亡くなって空き家となってしまった実家で静かに余生を送ろうと考え、この春にUターンして来たのだ。

 ご多聞に漏れず、この村も過疎化、高齢化が進んでいる。
 それでもまだ子供の頃の知り合いが何人か暮していて野菜などを良く分けてもらえるし、のんびりとしていて住み心地は決して悪くないのだが、こう言った行事の際は活気のなさを露呈してしまうのが、昔を知るものには淋しく感じられてしまう。
 そんな気持ちで境内をぶらぶらしていると、浴衣姿の少女が目に留まった。

 この祭にそんな年頃の少女の興味を惹くものがあるとは思えないのだが、少女はお囃子の数少ない聴衆となって一心に聴き入っている様子……正吉は少女の後姿をじっくりと観察することが出来た。
 少女は浴衣姿……しかし、現代的なカラフルなものではなく、ごくシンプルな伝統の麻の葉模様、帯も子供が締めるような兵児帯……特別なおしゃれとして浴衣を着ているのではなく普段から着慣れているようで、なんとも涼しげに見える。

 視線を感じたのだろうか……少女がちらりと振り向いた。
 美しい少女だった……そしてその顔は正吉の旧い記憶を呼び覚ます。



 村には評判の美少女が居た、彼女は生まれつき体が弱くて野良に駆り出されることもなかったので色白で華奢……そしてはっとするほどに可愛らしかったので村の男の子のほとんどが密かに憧れていたように思う、もちろん正吉もその一人だった。
 ただ……その子は10歳で亡くなってしまった、兄弟姉妹もいなかったので血縁者がまだこの村に居るとも思えないが……。



 お囃子が終わると、少女はしずしずと歩いて境内の奥の方へ……。
 昔はともかく今は提灯の数も知れている、拝殿はぼんやりと見える程度なのだが、不思議なことに少女の浴衣の柄は白地であることを差し置いてもはっきりと見えるのだ。

「もしや……いやいや、そんなことは……」

 狐が化けた女性の着物の柄は闇夜でもはっきり見えるのでそれとわかる……各地で言い伝えられていることではあるが……。

 民俗学は民間伝承などから庶民の生活文化を再構築する学問、学問と言うからには民間伝承にもある程度の裏づけが見つけられないことには成立しない……狐が化けた女性の着物の柄についてはどうこじつけようにも根拠が見つからず、民俗学者の間でも無視されている言い伝えだ。
 しかし、正吉はそれらの根拠を見つけられない伝承も無視することはできなかった。
 と言うのは子供の頃、不思議な体験をしているのだ。



 やはり夏祭りの夜だった……まあ、その頃は子供が夜出歩くなどと言うことは祭でもなければ許されなかったのだが……。
 友達何人かと一緒に祭りを楽しんだその帰り道のこと、道に迷ってしまったのだ。
 散々遊び場にしていた境内のこと、暗いからといって迷うはずもなかったのだが、目印の蔵を右に曲がってしばらく行くとまた蔵がある……おかしいなと思いつつまたしばらく行くとまたまた蔵がある……いくら歩いても同じ所を堂々巡り……試しに蔵を左に曲がって振り返って見ればいつもと同じ景色……しかし、蔵を過ぎるとまた蔵……。
 正吉一人ではない、一緒にいた友達皆が一斉に迷うのだ。
「狐に化かされてるんじゃないだろうか?……」
 友達の一人が恐る恐る言い出し、年下の子はしくしくと泣き出す……。
「ほら……こないだ、皆でお稲荷さんに小便かけたよな……」
 確かに……面白半分にやったことで、その後何も変わった事はなかったのだが……。
「俺たち、ずっと家に帰れないのかな……」
「そんあはずがあるかよ」
 正吉も正直怖かったのだが、そう言いながら、じいちゃんに聞いた話を思い出して眉に唾をつけてみた……するとすんなり堂々巡りから抜け出すことが出来たのだ。
『狐は人を化かす時、眉毛の数を読む』
 これは民俗学を学ぶようになってから知った伝承……じいちゃんがそれを知っていたのか知らなかったのかわからないし、着物の柄と同様に根拠の見つからない伝承ではある、しかし、眉唾が効いたことは紛れもない事実だった。

 そんなことを思い出しているうちに少女の姿は闇に溶け込むかのように消えていった……。



 それから数年経ったある秋の日のこと。
 道を歩いていた正吉は、あの夏祭りの少女が収穫直前の田んぼの真ん中に立っていることに気づいた。
 はっと思い、正吉が少女に深く頷き掛けると、少女は丁寧にお辞儀をして消えてしまった。



 正吉は家に戻ると言い残したかったことを書面にしたため、手元に置いてあった論文や資料を、誰が見てもわかるように整理してきちんと机に並べた。
 
 狐は人の死を言い当てると言う……これは元を辿れば中国に伝わる九尾の狐の伝説に端を発し、色々と尾ひれがついた、やはり根拠の薄い伝承。
 しかし、正吉は少女がそれを伝えに現れてくれたのだと信じたのだ。

 そして、正吉はその晩、静かに息を引き取った……。



「これは……」
 知らせを受けて駆けつけたのは正吉の愛弟子で大学教授の座を譲った民俗学者。
 彼はあたかも師が死期を悟っていたかのような様子に目を見張った……。
「それと、枕元にはこれが……」
 村人が差し出したのは一冊のスケッチブック。

 正吉は水彩画が得意だった。
 写真よりも実物をつぶさに見てスケッチし、その場でさらさらと彩色した方が資料として余程役に立つ……それが正吉の持論で、それは彼の趣味でもあった。

 そして、差し出されたスケッチブックの最後のページには狐の面を手に振り返る、美しい少女が描かれていた。

(終)