推定有罪
「な、何を無責任な」
「私も痴漢の現場に居合わせたのは初めてですから……私は被害にあった女性の立場に立って法律で適正に裁かれるように手助けするだけですから」
「冤罪であっても関係ないと?」
「そんな事は言っていません、私は私が関わった痴漢犯罪はすべて有罪だったと信じていますから」
「罪のない人間に罪を被せた事は一度もないと?」
「ありませんね」
「じゃあ聞くが、痴漢の疑いが晴れたケースは?」
「一度もありません」
「ほら見ろ、やっぱり全員に罪を被せているんじゃないか、中には冤罪だったケースもあるはずだ」
「ありません、あるはずがないじゃないですか」
「どうしてそんなことが言える?」
「痴漢の思考回路を良く知っているからです」
「へえ、それはどんな思考回路なんだ?」
「それはあなたが良くご存知なのでは?」
もう何を言っても無駄だと悟った……、この蜘蛛の糸から逃れる事は出来ない……。
この女弁護士の中では、女性が『痴漢よ!』と叫んだ時点で全部有罪なのだ、やっていないと言う証拠を出せない以上、嫌疑をかけられた男に勝ち目はない……ゼロなのだ、それを承知の上で戦うのだから百戦百勝間違いなし、俺は自分から蜘蛛の巣に飛び込んだようなもの、その獲物を逃がす筈がない……。
しかし……。
俺の中の負けじ魂にも火がついた。
どんなことがあろうともこの女弁護士に屈するわけには行かない、痴漢有罪100%なんてことがあるものか、女弁護士の不遜な態度を見てニヤニヤしている女子高生達にも吠え面かかせてやるんだ、なにしろ俺はやっていないんだから、あの満員電車で人に触れないなんてことはありえない、それが全部痴漢行為だと言うならば男は全員刑務所送りだ、そんなばかなことがあってたまるか……。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
その後警察に拘置二日、留置場に移されて五日。
この一週間、毎日面会に来てくれる妻に新聞や週刊誌を差し入れてもらい、ニュースやワイドショーの様子も聞いている。
妻がネットで調べてくれたのだが、山田久美子弁護士は『女性の味方』を売りにしているようだ。
「セクハラ、パワハラ、DV、離婚訴訟とかで女性有利の判決を勝ち取ってかなり目立っているみたいよ、彼女にかかると職場の女性の服装を褒めるのはセクハラなんですって、生理休暇を取ろうとした女性に『一日だけでも何とかならないか』って頼むとパワハラ、夫婦が言い争いになるとDV、妻側の不倫が原因の離婚でも、妻を顧みなかった夫に一定の原因があるんですって……女のあたしから見てもどうかと思うわ」
「つまり、男は基本的に存在するだけで女性の敵、というわけか」
「うん、それに近いわね、このところワイドショーにも連日出てる」
「俺の一件でか?」
「名前までは出していないけど、高校の体育教師の痴漢現場を押さえたって、もう鬼の首でも取ったような勢いよ」
「やりそうだな……」
「でもね、ラッシュ時の車両の半分を女性専用にすべきとまで言ったもんだから、反発も受けてるわ、男性出演者からは総スカンね、でも女性出演者には賛同する人もいるから、さながら男対女の口げんかみたいになってる」
「へえ……そんなことになってるのか」
「あなたの肩を持つ女性もかなりいるわよ、安易に罪を認めないで拘置されてるのを男らしいと言って、そんな人物が痴漢などするとは思えないって……そうなると山田弁護士は目を吊り上げるもんだから、かなり激しい言い合いになるの、ワイドショー的には美味しいネタなのかも」
「おいおい、俺はネタか?」
「ごめんなさい、でも、結果的に一石を投じることになったのは確かね」
その後は週刊誌、はては大手新聞社までが取り上げて『痴漢冤罪』への関心はかなりの高まりを見せた。
当の俺は何も出来ず、何も言えずに拘置され続けているだけなのだが……。
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この件が一転、急展開を見せたは拘置されて二週間が過ぎた頃だった。
何と、顔こそ出さなかったが美幸が名乗り出たのだ。
「ごめんなさい、わざとじゃないって、本当だと思います」と……。
要するに仕組んだのは三人組の方、おそらくは本物の痴漢も恐れをなして近寄らないだろう自分たちの代わりに、大人しそうで可愛らしい美幸を実弾に仕立て上げたのだった。
通学電車で知り合ったのは本当だが、真面目で気が小さい美幸はあまり関わり合いたくなかった、しかし、通学途中に気分が悪くなって駅のトイレに駆け込むと、三人組はドアを開けさせないように立ちふさがって美幸を個室に閉じ込め、出してやる代わりにガム一個の万引きを強要した、たとえガム一個の万引きでも美幸にとっては大きな罪の意識になる、それを盾にして痴漢冤罪で合法的にカツアゲする事を思いついた、そういうことだったのだ。
そのアイデアは三回続けて成功し、俺は四人目のターゲットだった、美幸がその場で涙したのは『いつまでこんな事を続けなくちゃいけないの?』と言う思いから、その後事務室で俯いて一言も喋らなかったのは、俺が示談に応じなかったので、これからどうなるんだろうと怖くなったから、そして、この一件が発端となって世間を騒がせることになり、俺の拘置も長引く一方、そして山田弁護士から訴訟を持ちかけられてついに耐え切れなくなったそうだ。
美幸が正直に告白し、俺の冤罪が明らかになったことは山田弁護士には大きな打撃となっただろうが、そんな事は知ったこっちゃない、気にかかるのは美幸だ。
顔は出ていないから実生活に悪影響はないだろうが、三人組は未成年、おそらくは保護観察処分で済まされるだろう、美幸は家こそ知られていないらしいが学校は知られている、三人組の逆恨みに会いはしないだろうか……。
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「本当にごめんなさい」
俺が拘置所を出る時、美幸は面会に来て深々と頭を下げた。
「いや、君のせいじゃない、脅されていたんだからね、むしろ良く思い切って告白してくれたと思ってるよ」
「でも……」
「まあ、結果的には二週間拘置されただけで、それ以外の実害はないよ、学校からも早く復帰してくれと言われてるし……それより君は大丈夫? あいつらに逆恨みされるかも」
「はい、明日引っ越しますから」
「え? それは大変だな」
「いえ、実は父が去年から単身赴任してるんです、私が高校を卒業するまではと私と母だけこっちに残って……でも、私と母も父の元へ行くことにしました、転校先も地元の公立高校に決まっています」
「そうなんだ……まあ、それなら安心だね」
「私を気遣って頂いて……」
「いいんだ、じゃ、元気でね、もうあんなのと関わるんじゃないよ」
「はい」
「可愛らしい娘さんね、とっても良い娘だし」
俺と美幸のやり取りを傍で見ていた妻が言う。
「美幸……良い名前ね、私たちの娘の名前にどうかしら?」
「名前って、まだ……あれ?」
「そうなの、四ヶ月ですって、女の子……秋にはあなたもパパよ」
「そうかぁ……それを聞いちゃ、余計に安易に逃げないで良かったと思うよ」