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カクテルの紡ぐ恋歌(うた)Ⅷ

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「吉谷女史の気持ちは、分からなくはない。誰だって後悔はしたくないさ。ただ、選択せずにいるのは許されない。相手があることなら、なおさらだ。それに、最善の選択をしたつもりでも、全く後悔しないということは有り得ない。将来を完璧に見通して物事のすべてを自分の手でコントロールすることは、誰にもできないからね。仕事でも結婚でも、それは同じだ。大事なのは、不測の事態に協力して対応できるか、ということじゃないかな」
 指揮官職を経験した者らしい重みのある言葉に、圧倒される。美紗が無言で頷くと、しかし、日垣は急に表情を崩し、いたずらっぽい目を向けた。
「君は、吉谷女史よりずっと物分かりがいいな。彼女はもうちょっと噛みついてきたぞ。私に面と向かって、『男は気楽でいい』なんて言ってきた。『男は結婚しても生活が大きく変わるわけじゃない、普通の結婚をしていれば特に後悔する機会もないだろう』ってね」
 美紗は、日垣につられてわずかに笑みを浮かべ、そして彼から目を逸らした。艶やかな美人顔で快活な物言いをする吉谷綾子の姿が思い浮かぶ。その後ろに、もう三年半ほども会っていない母親の顔が重なった。
 結婚を迷っていたという吉谷と、納得しないまま父親と結婚した自分の母。思い出話の中に「後悔」という言葉が混じるたび、美紗の胸に小さなトゲのようなものが刺さる。母親は、結婚後ずっと後悔しながら、父親と暮らしてきたのだろうか。ずっと悔恨の念を抱きながら、自分を育ててきたのだろうか……。

 鬱屈した思いの向こうで、氷とグラスが触れ合う涼やかな音がした。日垣は、水割りをブルーラグーンの隣に置くと、ちらりと美紗のほうを見やった。
「既婚者の立場から言わせてもらえば、『後悔はお互いさま』というところだ。結婚相手は神様じゃない。完璧でもなければ、自分の理想を具現化した存在でもない。結婚して全く後悔することなく一生を送る人は、男女問わず、まず、いないんじゃないかな」
「日垣さんも、後悔することがあったんですか?」
 無意識に、ひどく不躾な問いを口にしていた。美紗は自分の言動に驚いて、凍りついたように日垣を見つめた。視線の先にいる彼は、切れ長の目を優しげに細めると、琥珀色のウイスキーグラスと深い青を湛えた細身のグラスが寄り添うさまを、伏し目がちに眺めた。
「別に構わないよ。吉谷女史にも話したことがあるから」
 いつもと変わらぬ穏やかな口調が、かえって美紗を緊張させる。吉谷綾子は、美紗が知らなかった日垣貴仁を、ずっと以前から知っていた。その同じ領域に、自分も今、踏み入ろうとしている……。

「妻とは結婚して十五年になるが、一緒に暮らした期間は、その半分もないんだ」
 日垣は、テーブルの上で手を組むと、静かに語り始めた。