青春スプレヒコール
意外と、彼らは親切だった。優しい人に見えた。まるで、春日が虐められているとは思えない位に。もしかすると、彼の話は本当は嘘なんじゃないか――勿論、決定的な証拠など無いのだが、内心彼を疑ってみたりもした。もし、これが嘘だとしたら、虐められている私に共感して身近に感じてもらうためだったのかもしれないし、辻褄は合う。でも、前向きに一生懸命に生きる彼の様子を見て、私はその話を信じる事にした。
「宜しくお願いします、金崎さん」
「序でに、他の部員も紹介するね。君から見て一番左にいるのが一年の土田君で、右も一年の木原君。後は、副部長で一年の水野って奴がいるんだけど――今日も来てないみたいだね。ま、いいや。そして、君の後ろにいる春日君。まあ、五人で仲良くやっているよ」
余りにも丁寧な自己紹介に、良い意味で裏切られた。完全アウェーを覚悟していた私にとっては、とても有難い事だった。
「――という事は、この部には女子はいないんですね」
私は金崎さんに尋ねた。
「そうだね。だから、君を誘ってもらったんだ。脚本を書いてくれた文芸部の松田さんがこういう脚本を書いたんだし、この部には女装して化けるような美男子はいないからね」
冗談だよ――と笑いながら金崎さんは話していた。
「なるほど」
「部長、そろそろ脚本の読み合わせしませんか。役者も揃ったので」
土田が言った。
この部活は先輩が一人しかいないのにも関わらず、同級生が四人もいて、比較的話し易そうな感じがした。他に女子がいないのが気がかりだけど。
「OK、じゃあ始めよう。皆、台本持って」
金崎さんの声だった。
「「「「はい」」」」
この場にいた部員に私を加えた五人は、持っていた橙色の冊子から、文化祭で上演するあの劇の緑色の脚本に持ち替えて所定の位置に着いた。
「すみません、今置いた橙色の冊子は何ですか?」
すると、少し彼らは時間を置いてこう言った。
「……発声用だよ。演劇はこれが基本だからね」
何かを隠しているような気もしたが、そんな事よりも、「早く台本が読みたい」――そう、私の心が訴えている様な気がした。
「それじゃ、第一場面初めのナレーションの後、二番の台詞からで」
私は、ずっと止まっていた時計の針がゆっくりと動き始めたような感覚がした。これから、どんな事が起こるのかな。何だか、胸の鼓動が高くなってきた。何もかも上手くいきそうな気がした。
ただ一つの不確定要素を除いて――。
初めての練習はとても楽しいものだった。ただ、この不思議な【季節】でさえも文化祭が終わる時、つまりは二か月後に終わってしまう、と思うと少し寂しくなった。
「月島さん、上手だったよ。もしかしたら、演劇の才能あるかもね」
隣にいた春日の声だった。部活(あくまでもゲスト参加)帰りの夜――夏休みにもなったので、見上げた視線に控えるあの空はさほど暗くは無かった。
「……そ、そんな事ないって。私は部員の皆には敵わないよ。特に金崎さんなんか上手すぎるよ」
「そうだよね。でも、いつか部長を越えられるようになりたい」
この言葉が、春日の決意表明にも見えた。きっと、相当な何かを演劇に賭けているのだろう。ある意味、彼は信頼できる。寧ろ、尊敬に値する。
私のこれまでの十五年間では、何か一つの事を必死でやり遂げたことなど殆ど無いだろう。具体的な事としては、恐らく勉強の面しか出てこないが、それだけではやっぱりいけないのかもしれない。
ピアノだって、バレエだって、ダンスだって――私を完璧な女の子に育て上げようとする両親が、あれこれ言ってきたその習い事には幾度も挑戦してきた。しかし、どれも長続きしなかった。
「絶対、なれるよ」
「――必ず、なってみせる」
そう言って、春日は空を見上げた。西の空に一番星が見えた。私も立ち止まり、一緒にその景色を眺めていた。もし流れ星が降っていたら、何を願っていただろうか。
『世界一の女優になりたい』
……そんな訳無いか。あってたまるか。
その時、道端の草むらの陰が不自然に揺れていた。いち早く気づいた春日は、まだ水色に光っていた空に気を取られていた私の手を引っ張り帰路を急ごうとした。
「奴に見られるとまずい。早く帰ろう」
春日は何か見えないものに怯えている様にも見えた。
「――えっ、奴って?」
私は素直に疑問を投げかけた。確かに、遠目から見れば噂を立てられても可笑しくは無いのだろう。でも、ごく普通の人なら、こんな風に噂が立つ事をあれだけ恐れるだろうか。実際、彼はこの疑問に対して答える事は無かった。答えるのを待っても何も進まないだろう――この様子を見た私は、春日に従うことにした。
「分かった」
急勾配のメインストリートを駆け抜ける彼に引っ張られるように、私も全力で坂を駆け下りた。
「帰りのバス、何処方面?」
「……妹川(まいかわ)駅だよ」
私達が通っているこの学校は比較的大きな山の盆地の外れにあり、通学が不便にならない様に、学校と近所にある幾つかの駅を繋ぐバスを定期的に運行している。私にとって、このバスの存在が一つの生命線でもあった。
「同じだよ、はは」
春日は、あの化け物の様に一瞬笑ってみせた。
3
八月になると今までの暑さもだんだんと激しさを増し、人々を蒸し暑い空気が包んでいた。それは、我が演劇部でも変わることは無かった。
偶々、この部室には古い型のエアコンが備わっており心配する必要は無かったのだが、性能の低下が著しく少し暑さが残っている事も多々あった。
暑さに怯えつつ、昼食の弁当を食堂に仕入れに行った私が部室に帰ってみると、彼らは異常に疲れ果てていた。
「……大丈夫?」
心配に思った私が彼らに声を掛けて、テーブルに弁当が五つ入ったレジ袋を置く。
「うん、大丈夫」
「ところで、弁当は……あ、いっただきまーす」
木原は、先程の様子がまるで嘘だったかのように弁当に噛り付いていた。
「木原は食べる事は早いな、食べる事は。もっと早く台詞を覚えられたら最高なのにな」
金崎さんお得意の後輩弄りである。先輩は、いつも華麗に弱点を突いてくる。この才能は是非、私も手に入れたいものだ。
「止めてくださいよ、部長。そこは僕なりに努力しているんです。ちょっと待ってくださいよ……」
木原が弱気な返事を返す。
果たして、彼は台詞を覚えられるのか。そして、脇役が多い彼は台詞の多い役を演じる事が出来るのか――見物である。
「木原せこいぞ、俺にも選ばせろ」
土田の声だ。木原とは中学時代からの親友だそうだ。実際、この二人と水野君は同じクラスだそうだ。ただ、水野君は今日になっても姿を現すことは無かった。幽霊部員とは彼の事なのか。
「つっちーも好きな奴、選んだでしょ」
土田の右手には、彼の大好きな唐揚げ弁当があった。これにふりかけをかけて食べるのが自身のマイブームらしい。少し味の感覚がずれているような気もするが、彼は料理に関しては頭一つ飛び抜けた知識を持つ。しかし、一年生の間は家庭科の授業が無く、彼の才能が調理実習の授業で生かされるのは、授業のある二年生の時まで持ち越されることになる。
果たして、彼の料理は如何なるものか――見物である。