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半夏生の朝

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半夏生の朝

祇園祭が終わり、夏越しの行事の季節がやってきた。京都の町は旧暦である。広島と違って、湿度が高くて過ごしにくい。女は、普段はエアコンなしで過ごすが、鴨川に面しているマンションでも、この季節だけはやり過ごせない。しかも大男は暑がりなので、やってくるとエアコンはしかたない。

「何かあったんでしょ、いいから、だいじょうぶよ」
女は間を盗んで、男の暴力を、男自身の問題にきりかえた。男は床に座り込んで、女の肩を強くつかんで揺さぶっていた。男の激情を目の当たりにして、女は、男の緊張が解けていくよう、おだやかな視線を注いだ。殴られるのはもういい。
何か抗しがたいことがあって、男は極めて不安定になっているのだ。時々、そういうことがある。そういう時は、マンションを訪ねてきて、荒々しいセックスをする。女をはけ口にするのだ。会社の資金繰りがうまくいかないのだろう。そして、日本社会への不満が、女にぶつけられる。
「いれて」
女は男を懐柔する。もう少し、この男とつきあって行かねばならない事情がある。セックスが一番だ。もう女はおびえもせず、悟ったように、からだを寄せていった。男はいつものことだが、女をいたぶると興奮してくる。狭い部屋には熱気があふれ、湿度が高くなっているように思われた。
床に裸で転がると、汗をかいたように肌が湿っている。男は足を開いた女の付け根を、指を使っていじった。指だけで攻め抜いた。やがて、ぴちゃぴちゃ、と音がしてくる。女は指だけでいかされそうなので、男根をつかむと
「いれて、これでいきたい」
男に哀願しながら、腰を揺らした。
「やられたいのか」
女が肯いて、媚びる表情を装う。
男は勢いをついたのか、女に突き入れた。突き入れながら、男は抑えがたい衝動に突き上げられ、女のほおを叩く。女は、目にうっすらと涙をたたえた。涙の意味をこの男はとうてい理解できないだろうと思った。
しかし、女は、男の絶対的エネルギーすら、いまやコントロールできることに気が付いた。意外なことに、男の仕組みは単純だ。単純な仕組みに気が付くと、男を複雑に考えすぎていたことが分かってくる。先入観なのだ。脳の作用なのだ。
男のワイルドなやり方は、女の身体にしみこんでいき、いつしか、男とのセックスばかり考えるようになった。初体験の時のような思いだった。免疫は、他者と自己の認識だと言う。そうなら、男根の挿入にも免疫理論が当てはまるだろう。あたらしい男との性交は、あらたな認識論だ。他者が自己に侵入してくる。それを受入れるかどうか、女だけの特有の過程なのだ。
 羞恥心を煽るというのが、この男の定石だった。羞恥心というのは、その頂点を見極めるように自覚できていて、その平衡感覚がぷつんと切れるような時がいちばん深く強い。男はよく把握していて、羞恥心を女の官能にかえてしまうテクニックを持っている。羞恥心と屈辱感との同時進行が、女を放心させて、性欲を解放させる。
 小さなワンルームマンション、この「牢獄」に居て孤立し、ほかに相談相手もなく、本心も奥深くしまって男とつきあい、平穏な暮らしというものを忘れてしまった。

「働きたい」
と女が言うと、
「別れたいんか」
いきなり話が飛躍する。
「することがないし、あなたはしごともお付き合いも、家族もあるからいいけど」
殴られるかと恐れたが、男は女をなだめてきた。
「ジャズの店で働くけ、きっと人気者になるやろ」
「面白い、やりたい」
春先から、仕事を始めた。ジャズピアニストでは食えないが、店員を兼ねたらまとまった収入、自由になれる金ができる。ジャズが好きだと言う男は音楽では、息があって楽しかった。ギター等の楽器を器用に扱う。ヘビメタロックも大好きで、刺青をしてチェーンを首や胴体に巻き付けた女性たちの演奏光景がいちばんのお気に入りだった。
その影響で、男が見つけてきたアクセサリーを身体につけて出勤した。女が首輪や腕輪をして、演奏会に出かけると男はとても喜んだし、客たちも絶賛した。

仕事を始めると、二人だけの関係に変化が生まれた。
男が友達を連れてきた。
「彼女や」
と女を指さす。男はサディストぶりを発揮する。ミニスカートからはみ出ている太ももをつねるのだった。女は表情を変えることなく、堂々としている。
気の弱そうな友達が女に感情移入してくる目をそそぐ。耐えているのか、と。友達は、男になぶられるのに慣れた女の宿命に思いを募らせた。この男は、もっと理不尽な命令をするのだろうか、セックスだけではない特別な関係とは何か、と。
「こいつとは、お前みたいな平凡なやつには、わからへんやろな」
男はいかにも満足げに解説した。
「貸し出してもええ、なあ、ええな」
女にむかって同意を求めた。
女は笑って、同意の意思を示した。そういう設定も面白いかもしれない、なにか人気者になったようにも思えた。「自由」な気分だった。淫乱だとも思った。
「風俗のこ、やったのを、拾うてやったんや」
と言って、女を見る。
「着ているものみんな、オレがこうてやった」
友達は苦笑いして女を舐めるようにして見あげて見下ろした。薄い生地のハーフブラジャーとひもパンを見透かされているようで、友達をにらみ返した。男は、そのやり取りを楽しんでいる。
黒い下着が似合うと、身につけさせる。男と寝るときは、黒ばかりになった。ガーターベルト姿もお気に入りだった。

お尻への挿入も覚えさせられた。挿入への勢いが余って、お尻にむかった。まあ、いいかと。はじめは、潤滑剤をたっぷり使う。そう言うホテルには常備品である。
お尻に指をいれてこねますと、やわらかくなる。
やわらかくなると、お尻をつかって、快感を求め、性交と同じように動く。お尻での動きはゆっくりだ。上になったり、下になったりして、時間をかける。
男根のエネルギーは圧倒的で、穴はすべて提供するような思いだった。


夏の夜は短い、朝の陽ざしはすべての生命をたたき起こすかのように強烈だ。冬眠というではないか、それなら夏は生命の覚醒期だろう。

一番短い夜が明けた。
教授は徹夜だったようだ。論文の締め切りが近い。女は、教授の椅子の横に寝そべっている。教授は女の動きを無視している。書き上げようと懸命な様子である。
教授を見上げながら、女は、執筆中のその手をこちらに向けてほしいと願った。教授はセックスのことを忘れているのだろうか、忘れているはずはない、こちらを向いて声をかけるに違いない、自分に向かってなんて言うのだろうか、「舐めろ、足を開け」だろうか、女は夜中も眠りが浅く体が覚醒していて、頭もセックスのことばかり、考えている。夏至の朝、夜の眠りも浅く目覚めは早くて、まどろみなしである。
女は横たわっているものの、頭も体もすっかり起きている。教授の足の指に唇を近づける。女は、教授が夜中にシャワーを浴びているのに気がついていた。足は清潔だった。爪はきれいに切られていて、健康的だった。大男だが、楽器をいらうし、料理が好きで、器用なところが、今までの男性とは変わったタイプだ。手の指と同じく、足の指も柔らかい。
作品名:半夏生の朝 作家名:広小路博