Ex.
大原はそのバンドの演奏が始まるなり目を見張った。
『凄い音を出す』と噂には聞いていた、だからこそライブハウスに足を運んだのだが、これほどとは……大原はこれまでに何組ものロックバンドを世に送り出してきた敏腕プロデューサー、その大原でさえ、こんな音は聞いたことがなかった。
バンド名はEx. Experimentの略なのだと聞いている。
メンバーは3人。
リードギター&ヴォーカルの翔、彼の速弾きは目にも、いや、耳にも止まらぬ速さで天空を駆け巡る、しかも各種のエフェクターを組み合わせ駆使して、それまで聴いたことのないような音も生み出していた、そして身体に染み付いたドライブ感は聴く者をトランス状態に導く。
ベースの拓也、ファンク系黒人奏者に多く見られる弦を親指で叩くように弾くチョッパー奏法から叩き出されるベースラインはバンドサウンドの下支えに留まるような代物ではなく、天翔けるような翔のギターとパワフルに、そして複雑に絡み合う。
ドラムスの康平、ジャズ、フュージョンをバックボーンに持つ彼のドラミングは、正確なビートを刻むだけでなく複雑なシンコペーションを自在に叩き出し、バンドサウンドにスピード感を与えている。
誰か一人がスターで、他のメンバーがそれを支えているようなバンドではない。
3人3様の個性がぶつかり合い、せめぎ合い、火花を散らす。
下手をすればばらばらになってしまいそうなぶつかり合いだが、それぞれの確かなテクニックがそれを繋ぎとめているのだ。
大原もかつてはロックバンドを率いていたので彼らのテクニックには嫉妬すら感じてしまう、そのサウンドも他に類を見ないもので無理にジャンル分けするならばハードロックなのだろうが、ギターはともかくベースとドラムスは畑違いと言えなくもないにもかかわらず、それが却って演奏に緊張感をもたらしている。
しかしプロデューサーとしての経験から言えば、彼らはこのままではメジャーにはなれないだろうとも思う。
実際、ライブハウスのオーディエンスの1/3は食い入るように聴き、目を皿のようにしてテクニックを盗もうとしている、1/3はその圧倒的なサウンドに酔い、スピード感、ドライブ感に身を委ねて陶酔している、しかし最後の1/3は彼らのサウンドについて行けずきょとんとしているように見える、と言うのは彼らの曲は短いメロディラインを提示するとすぐにアドリブに入ってしまうのだ。
その意味ではロックというよりジャズ的だ、各々のソロパートも多く、アドリブバトルも長い、それはこの上なくスリリングなのだが、それを楽しめるオーディエンスはそう多くはない、コアなロックファンであっても最初のうちこそ火花が散るような掛け合いに息を呑むが、10分近くもかかる曲が何曲も続くと飽きてしまうのだ。
そもそも、翔がヴォーカルをとってはいるが、大部分の曲がインストメンタルでヴォーカルパートはごく短い、しかも翔のヴォーカルはお世辞にも上手いとは言えず、がなり立てるばかりで歌詞も良く聞き取ることが出来ないのだ。
既に名を知られたミュージシャンが新たに結成したバンドならいざ知らず、まるっきりの新人バンドがメジャーレーベルからデビューするには大衆受けすることが不可欠だ、その点では致命的な欠点と言える、いくら革新的なサウンドであっても、メジャーレーベルは売れない音楽を相手にはしない。
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「どうする?」
翔は拓也と康平を前にして複雑な表情を浮かべている。
有名なプロディーサーである大原から面会の申し入れがあった時には驚いた、しかも彼はメジャーレーベルからのデビューを提案して来たのだ。
しかし、同時に大原はひとつの条件も突き付けて来た。
純と言うヴォーカリストをメンバーに加えろと言うのだ。
純は大原が見出し育てたバンド、スカイシップのヴォーカリスト、スカイシップはヴォーカルの純とリードギターとの双頭バンドとして人気と実力を兼ね備え、チャートをにぎわした時期もあったのだが、半年ほど前にリードギターが脱退してしまい、現状は「純とそのバックバンド」と言う状況で、アルバムやチケットの売れ行きはだいぶ落ち込んでいる。
純の実力に関しては申し分ない、天を突くようなハイノートのシャウトは破壊力抜群、一転してスローパートに入れば情感を漂わせることも出来る。
純と言う実力派ヴォーカリストを加えることには異存はないし、自分たちのサウンドに厚みを加えてくれるだろうとも思う。
しかし、引っかかる部分も当然ある。
人気が下降気味とは言っても純と自分たちでは知名度に決定的な差がある、自分たちは純のバックバンドにされてしまうのでは? と言う懸念だ。
大原はそれを否定し、バンド名も今のままEx.と名乗って構わない、あくまで純をEx.に加入させたいのだ、と言ったものの、その言葉だけで懸念が消えるはずもない。
純の背後には大原が見え隠れする、しかしその大原の背後には成功も見え隠れしているのだ。
拓也と康平もほぼ同じことを感じ、考えていた。
これまでのようにやりたいようにやっていて成功するとは思っていない、メジャーデビューするには大なり小なり妥協が必要なことはわかっている、問題はその妥協の程度とそれによって得られる成功の大きさのバランスなのだ。
ヒットチャートを賑わすような人気バンドになりたいとは思っていないが、純のバックバンドになることを求められるならば願い下げだ、しかし音楽でメシが食えるようになるかも知れないと言うのは、身悶えするほど魅力的ではある。
三人はじっくりと話し合い、純や大原とも何度か交渉を持ち、結論を出した。
二年間の活動期間、三枚のアルバム。
もし、メジャーでの活動が意に染まないものになったとしても、期限付きならば許容範囲、なにしろやってみないことには何も始まらない……そう考えての結論だった。
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純を加えた新生・Ex.のリハーサルとデビューアルバムのレコーディングが始まった。
これまではバイトに追われ、練習場所の確保にすら苦労していたことを考えれば、自由に使える時間とスタジオを与えられて、時間や収入を気にすることなく音楽に専念できるのは夢のようだ。
しかし、当然のように大原も立会い、様々な指示を出して来る。
Ex.の曲は大幅な書き変えを要求された、すなわちメロディを充実させてヴォーカルパートを大幅に増やすこと。
そして純のバンドの曲も当然レパートリーに加わる。
不自由さは否めない、否めないが想定内ではある。
そして純のヴォーカルは予想以上にフィットし、Ex.のサウンドに厚みを加えてくれる。
純自身もメンバーの技量に感服して、傲慢な態度を取る事もなく、まるで旧知の間柄だったかのようにバンドに溶け込んでくれた。
大原もEx.のサウンドには惚れこんでいるので、ソロやアドリブパートも認めてくれる、もっとも、大幅に削られはしたが……。