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女ともだち

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目覚め


 冬から春へと季節の移ろいを感じさせる、ある午後のことだった。静かな住宅街の一画に佇むマイホームの居間で、その家の主婦、滝川百合子がふと目についた壁の汚れを拭いている時に電話が鳴った。
 手を止め、受話器を取ると、聞き慣れない女性の声が流れてきた。
「滝川さんですか?」
 百合子は、瞬時に勧誘の電話だと思い、適当に切り上げるつもりでそっけなく答えた。
「はい」
「百合子さんですか?」
 あらっ、知り合いかしら、と思い、声色を変えて答えた。
「はいそうですが、どちら様ですか?」
「私、坂下律子、高校で一緒だった――」
「えっ、ああ律子! びっくりした。久しぶりね。十年以上かしら」
「そうね、お互いの結婚式以来よね。私、九州に嫁いじゃったから」
「懐かしいわね。その声、間違いなく律子だわ」
「嘘! どちら様? なんて聞いたくせに、忘れていたんでしょ!」
「それは突然だったからよ」
「ああ、もう知っていると思うけど、私ね、十年前に離婚してこっちに戻って来ているの」
「ええ、耳にはしていたけど、私もその頃は子育てに追われていたし、なんとなく声をかけづらい感じもして……」
「ご無沙汰はお互い様よ。ねえ、近いうちに会えないかしら? もう子育ても一段落したでしょ?」
「ええ、もちろん会いたいわ」
「じゃ、早速、明後日なんかどう?」
「金曜日ね、いいわよ」
 百合子は、律子が告げた時間と場所をメモして電話を切った。
 
 
 百合子は、今年四十歳。小さな商社に勤める夫と、中学二年になる娘との三人暮らし。十年前に買ったこの小さな家で、ささやかだが平穏に暮らしている。
 律子とは高校時代、もう一人の友人、外岡早苗と三人でいつも一緒に行動していた。性格がまるで違う三人だったが、なぜか妙に気が合った。そして卒業後、三人はそれぞれ全く違う道に進んだ。
 百合子は、専門学校を経て就職したが、すぐに寿退社をして結婚した。律子は、大学に進み、口癖だったキャリアウーマンを目指したが、あっけないことに恋に落ち、さっさと九州へ飛んで行ってしまった。そして早苗だけが、辛抱強く自分の道を貫き通している。バイオリンにすべてをかけ、プロのバイオリニストになっていた。長くヨーロッパに留学していて、後に帰国して日本で活動していると風のうわさで聞いた。
 
 
 金曜の朝、百合子は夫と娘を送り出すと、家事を手早く済ませ、身支度に取りかかった。
 十数年ぶりに同級生に会う――主婦として家庭に入ってしまった自分を、少しでも垢抜けた装いに包みたい、女なら誰でもそう思うものであろう。丁寧に化粧をし、念入りに洋服を選び、ようやく百合子は家を出た。
 待ち合わせのカフェに着くと、もう律子が来ていた。店に入ると、奥のテーブルに座っている律子は一目でわかった。全く変わっていなかったからだ。とても四十歳には見えない。
「お久しぶり! お待たせしてごめんなさい」
「ううん、私も今来たところよ」
 ちょうど店員が注文を聞きに来たので、ふたりともコーヒーを頼んだ。
「律子、変わらないわねえ。驚いたわ」
「百合子だって、とても中学生の娘さんがいるようには見えないわよ」
 百合子はそんなことはないと思った。ママ友の中に自然に調和している自分が、ちょっといつもより手をかけたくらいでそう変わるはずはない。
「律子は今どうしているの?」
「ひとりだからもちろん働いているわ。結婚で遠回りしてしまったけど、やっと好きな仕事につけてバリバリやっているところよ」
「律子は、昔からキャリアウーマンに憧れていたものね。よかったわね、願いが叶って」
「百合子だって、いい旦那さまと娘さんに恵まれて、いかにも昔の百合子が選ぶ人生って感じよ」
「そうね、お互い思い描いていた場所にいるということよね。それにしても、外に出て働くってそんなに若さを保たせるものなのね。律子、ホントに綺麗で驚いたわ」
「ありがとう。独身ですもの、身なりには気を使うわよ。というより、彼のおかげかも」
 律子は照れ笑いをした。
「ええ! 恋人がいるんだ。そうね、いてもおかしくないわよね。独身なんですものね」
「まあ、こっちはね」
「えっ?」
 百合子は一瞬、自分が聞き違えたのかと思った。
「それって……」
「そうよ、彼には家庭があるの」
 律子は悪びれる様子もなく平然と答えた。まるで百合子の方が悪いことでもしているかのように、おどおどと水の入ったコップを口に運んだ。気持ちを落ち着かせ、なんて言おうかと言葉を探していると、律子が先に口を開いた。
「ああ、そうだった。そんな話をしに来たんじゃなかったわ。今度、早苗、あの外岡早苗のコンサートの券をもらったの。仕事の関係先からなんだけど。すごいわよね、彼女。単独リサイタルで、人を集められるバイオリニストにまでなるなんて」
 百合子は早苗の話など上の空だった。家庭のある人と……もうその言葉が頭を離れない。
 来月の早苗のコンサートに、一緒に行く約束をして律子と別れたが、家へ帰る道すがら、周りの景色が来た時とは、なぜか変わって見えるような気がした。今まで、ドラマの世界でしか見たことのない光景が、現実に目の前で起こっている。
 
 その夜、ベッドに入っても、百合子はなかなか寝付けなかった。昼間の律子の言葉に脳が支配されているかのようだった。
 彼には家庭があるの――
 その彼の奥さんはどうなるのだろう? 気がついてはいないのだろうか? 子どもはいるのだろうか? 父親が他の女性と……
 百合子はいつのまにか、自分の家庭にあてはめて考え始めていた。夫、浩一に女がいたらどうしよう。それを娘の美紀に知られたら……多感な年頃だ、絶対に父を許せないだろう。男性不信に陥り、将来結婚もできなくなるかもしれない。
 その時、ふと気がついた。私は、なぜ娘のことばかり気にするのだろう? まず傷つくのは自分のはずではないか? 夫婦間の問題が先だろう。でもなぜか、浩一に女がいたとしても、目の前が真っ暗になるような衝撃はないような気がした。そうなんだ、と思うだけな気がする。
 百合子にとって浩一は、大切な家族ではあるが、もはや異性ではないのかもしれない。それに気づいてしまった今、この穏やかな暮らしが、とても色あせたものに見えてくるのだった。

作品名:女ともだち 作家名:鏡湖