刻苦労知す
『待って! それを振り下ろさないでください』
ボクの背後に迫る気配は、息をひそめ、確実にボクを狙う角度を維持してその時を待っている。
地域情報誌――総厚さ約三ミリ、数ページをホッチキスで留めたもの、月二回戸別配布型フリーペーパー――を縦長に丸め、おまけにその先をやや平たく潰している。
数度の失敗からの改良が重ねられたのか、明らかに意図的な工夫がなされている。
ボクが、身じろぎひとつでもしようものならば、一気に向かってくるだろう。
ボクは、精いっぱい集中力をこの細く長い触角と尾部の尾毛に集め、その気配を感じている。
『待て待て! 落ち着け… 振り下ろすな』
そんなことを言っても願っても危うい状況は好転しそうにない。
ならば、少し自己紹介を。
ボクは、この夏羽化し、体長二十九ミリ(推定)、やっと飛べるオトナになったぁ……
『おぉっと!』
ダメだ。構えを変えず、捩じり寄ってきた。
一瞬の判断。ボクは思い切って翅を広げて……
「わぁ! 飛んだぁ」
ボクは、天井に近い白い壁から翅を広げた。
たまたま着地したのは食器棚の横のワゴンの上。
ボクはすぐにその後ろの壁との隙間に身を隠した。
「あぁ、取り逃がしたぁ」
残念そうな声が遠くでした。
でも、ボクは、いったん気を静めることができる。
あぁ、ボクに言葉があったら……
この間に少しだけ ボクのことを語らせてください。
そう、もう少しでいいのです。