Fortunate one
クジャクはそう言うと、きびすを返して部屋から出て行った。カワセミはそのあとに続いたけど、出て行く直前に足を止めて振り返った。その目がまっすぐ棚の隙間に向いて、わたしは息を殺した。カワセミは笑顔でうなずくと、出て行った。
ふたりだけになってしばらく経ったとき、ヒバリの服をゴミ袋から取り出したツグミは、言った。
「サイズ、ほぼ一緒だよね」
わたしは、制服を脱いで、ヒバリの場違いに派手な服を着込んだ。ツグミは笑顔で言った。
「いいじゃん、ヒバリより似合ってる」
「ありがとう」
わたしはそう言って、制服から封筒を取り出した。上着のポケットに入れて、一度深呼吸した。ツグミは言った。
「本当に、出て行っちゃうんだ」
「ごめんね」
わたしが言うと、ツグミは小さなクリアファイルを、作業場の机の中から取り出した。わたしの机なのに、そんなファイルが入っていること自体、知らなかった。
「勝手に忍び込んでごめん。仕事場に置いてたら分かんなくなっちゃうから。これを持って行ってほしいの」
わたしは、中身を開けた。地図が入っていて、すぐに分かった。ツグミの『お気に入りの場所』だ。展望台の地図。わたしは思わず言った。
「一緒に行こうよ」
ツグミはしばらく黙っていたけど、小さく首を横に振った。ヒバリの手から指輪を抜いて、自分の薬指にはめた。指の上で並んだ指輪を見て、笑った。
「いつか、そこで会おう。私、いずれクジャクを殺すと思う。そしたら、追いかけるから」
「約束だよ」
わたしはそう言ったとき、地図がもう一枚挟まっていることに気づいた。
「それは、あなたの地図」
ツグミはそう言って、少し眠そうな目をこすった。
あのデパート、S字の高速道路。ホチキス留めされたわたしの絵。消した跡が鉛筆で足されて、また人の形に戻っていた。わたしが驚いて何も言えないでいると、ツグミは言った。
「今は違うデパートになってるけど、そこしかないよ。歩道橋の手前の、噴水広場から見た景色だと思う」
「……ありがとう、調べてくれたんだ」
「仕事だからね」
ツグミは舌を出すと、笑った。わたしは言った。
「何から何まで、ありがとう。また会えるよね」
ツグミは強くうなずくと、ふと思い出したように言った。
「ねえ、名前を教えてよ。思い出すときにカラスじゃさ、なんか変じゃん。私は楠木千尋」
「わたしは、川井ひな。でも、苗字も下の名前もお母さんが決めたんだって。だから、本当の名前じゃないかも」
ツグミの驚いた顔が、わたしは昔から好きだった。頭の回転が速い彼女は、滅多に驚いたりしないから。でも、今どうしてそんな顔をするんだろうと思った。ツグミは言った。
「いい名前じゃん。『かわいい雛』でしょ。お母さんが、そう思ってたんだよ」
夜明けの空、駅のターミナルはがらがらだった。まず自分がいる駅の名前が分かって、千尋のメモ書きから、乗るべき電車の名前と方向が分かった。
一番使い道が分からなかったのは、封筒に入っていた銀行のカードだったけど、それはお母さんが使っていた口座で、見たこともないような額のお金が入っていた。暗証番号は、最初から知っていたみたいにすぐ分かった。『〇五一一』、わたしの誕生日。
「切符ですか?」
年配の女の人が、声をかけてくれた。わたしはうなずいた。方向を指差すと、不思議な顔をしながらも、女の人はどの切符を買えばいいか教えてくれた。
「ありがとうございます」
わたしが言うと、女の人はスタンドから路線図を一枚抜いて、手渡してくれた。わたしは驚いた。死んだ人間だけを通して想像してきた『外の世界』は、とても怖いところだと思っていたから。
指が触れて、わたしは路線図を握り締めた。知らない人の手の感触。それは、すぐに手の平から消えてしまうぐらいに儚くて、でも、ずっと覚えていられるぐらいに、暖かかった。
作品名:Fortunate one 作家名:オオサカタロウ