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てっしゅう
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novelistID. 29231
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「歴女先生教えて~パート2」 最終回

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「十二世紀は中世の春と呼ばれる時代になるの。地球の温暖化や農業技術の革新(三圃式農業=農地を三分し、冬畑、夏畑、休耕地とし、年々順次交代させて行う作付け方式)、シトー会(シトー修道会、カトリック教会に属する修道会)の開墾運動の進展などもあって、農業の生産性が急上昇した。大きな変革がヨーロッパで起こったのね。
イスラム社会を経て、ギリシャ・ローマの古典が甦ったことを始めとして、ルネサンスが開花した。この時代を象徴しているのが大聖堂の建設。それまでのロマネスク様式に代わる、天を突くようなゴシック様式の建築が登場する。その典型がパリのノートルダム寺院(1163年に建築開始)やシャルトル大聖堂(1145年建築開始)ね。
この時代から民衆のマリア信仰が、堰を切ったかのように世間に溢れ出たの。ノートルダムとはフランス語で、我らの貴婦人、という意味で、聖母マリアのことよ」

「日本では平安時代の平清盛が活躍した時代ですね」

「あら、よく解るわね。そうよ、望月さん。清盛は実権を握ると大輪田泊(おおわだのとまり=神戸港)を整備して、南宋貿易の拠点とした。そして、莫大な富を蓄積するの。厳島神社で偲ぶことが出来るわね。中国では靖康の変(せいこうのへん)が起こって、宋はモンゴルの北方に興った金(きん)という国に攻め込まれ、南へと退いたの。この金という民族は女真(じょしん)と呼ばれる遊牧民たちで、過去に朝鮮半島で高句麗、満州で渤海(ぼっかい)という国を作った人々の後裔だった。
南に逃れた宋は南京を都として、南宋(なんそう)と呼ばれるようになる」


*南宋の皇帝である高宗は、1129年に宰相秦檜(しんかい)の進言により、金と和議を結ぶ交渉に入りました。リアリストだった秦檜は長江の北を諦めて南だけでも十分食べて行けることを読み切っていました。しかし、この和議に猛反対したのが岳飛(がくひ)という将軍でした。北の領土を奪回せよと主張し、力に訴えても和議を阻止しようとしました。岳飛は、秦檜によって処刑されます。こうして南宋は国を守り栄えたのですが、後に岳飛と秦檜の評価は逆転します。それは、朱熹(しゅき)が唱えた朱子学のイデオロギー(正当性)を持ち込み、漢民族の政権を正統として、異民族の政権を斥けたのです。
杭州には岳飛を祭る廟があって、その前に鎖で繋がれた秦檜夫婦の銅像が置かれているのですが、岳飛の廟にお参りをした人たちは、帰り道、その銅像に唾を吐きかけたりしています。イデオロギーを前面に押し出した朱子学の恐ろしさの好例です。(出口治明著:全世界史より抜粋)

朋美と未海の学校は二年生の秋に修学旅行を実施していた。
今年は新幹線も開通して東京へのアクセスが良くなって、ディズニーランドと横浜ベイシティ見学が有力候補だったが、美穂が意見を求められて子供たちに日本の歴史を知って欲しいとの意見から、遊びより看護師介護士としての人間形成の面でふさわしいと京都・奈良、そして伊勢神宮参拝のコースが選択されていた。

未海は朋美の部屋に遊びに来ていた。