孤独の行方
郁夫が山歩きへ出かけて行った日、由紀子は大学時代からの友人、北田文子と会う約束をしていた。
昼前に文子が車でやってきて、折りたたみ式の軽量車椅子をトランクに詰め込み、近くのショッピングモールへ出かけた。
ウインドーショッピングを楽しみ、レストランで昼食をとり、またショッピングへ。女友だちのフルコースとしては、後はおしゃべりの時間を残すだけとなった。コーヒーショップに入ってそのデザートの時間が始まった。
「郁夫さんて本当に優しいわよね。もともと進んで人の世話をする人だから、奥さんの世話なんか苦にもならないでしょうね」
そんな暢気なことを言われると、由紀子はとても本音を打ち明ける気になどなれない。
(おそらく誰の目にもそう映っているのだろう。こんな体でも優しい夫に支えられ、私は幸せ者だと思われているのだ)
「誰でも同じことをするのではないかしら? 文子のご主人だって同じ立場になったらそうすると思うわよ」
「そうかしら? 考えたこともなかったけれど、五分五分かな。そうしてくれる気もするけど、世間体が悪くても逃げ出してしまうような気もするな……
そう言えば、結婚式の時の誓いの言葉によくあるじゃない? 健やかなる時も病める時も、って。あれってかなり重い言葉よね。簡単に誓えるようなことではないわ」
「そうよね。燃え上がっている時は素敵な誓いの言葉に聞こえるけれど、何十年に渡って守れと言われると辛い誓いよね。それに健やかなる時というのも油断できない気がするわ」
「どういうこと?」
「病気にでもなれば人は弱気になるし、支え合っていこうと思うものだけど、健康な時はお互いわがままの応酬になりがちじゃない? 浮気だってお互い健康だからできるわけだし。こんなことを言うと文子たちみたいに健やかな夫婦に水を差すように聞こえてしまうわね。気にしないでね」
由紀子は自分が意地悪な人間になってしまったような気がした。自分の苦しみに気づいてもらえず、むしろ幸せ者だと言われたことに、無意識に反発したのかもしれない。しかし、文子は特に気にする様子もなく、芸能人の旬な話題を持ち出し、おしゃべりの時間はお開きを迎えた。
店を後にして、駐車場に向かう通路で突然、あっ! と文子が声をあげ、足を止めた。
「いけない、車のキーをあの店に置いてきちゃった。ちょっと待ってて、取ってくるから」
そう言うと、小走りで店に引き返して行った。慌てていた文子は車椅子を端に寄せていかなかったので、由紀子は邪魔になるのではと気になった。しかし、自走式ではなかったので自分で移動することはできない。誰も通る人が来ないうちに文子が戻ってくることを願ったが、こういう時はそうはうまくいかないものだ。
「すみません、通りたいんですけど」
(ああ、やっぱりこういうことになるんだ)
振り向くと、なんと声をかけてきたのは同じく車椅子の男性だった。
「すみません、今、友人が戻ってきますので、ちょっと待っていただけますか?」
すると、その車椅子の若者が聞いた。
「失礼ですが、上半身は不自由ではありませんか?」
「えっ、あ、はい」
「ではそこのポールに手が届きますよね。それにつかまってゆっくり引っ張ってみてください」
由紀子は、手を伸ばせば届くところにちょうど金属製のポールがあることに気づいた。そして言われた通りにしてみた。すると車椅子はするすると動きだし、道を開けることができた。
「ありがとうございました」
青年はそう言うと、由紀子の横をすり抜けて行ったが、驚いたことに青年は片手でもう一台のコンパクトな車椅子を引いていた。思わず、由紀子は声をかけてしまった。
「それは何ですか?」
「競技用の車椅子です、僕、車椅子バスケをやっているんです」
振り返ってそう答えると、青年は駐車場へと去って行った。