孤独の行方
第三章 佐原由紀子(二)
文子に送ってもらい家に帰ると、由紀子はすぐにパソコンに向かった。そして、近くで車椅子バスケットの練習が行われている場所を探した。すると、郁夫が時々通っている地区のスポーツセンターがヒットした。
その日の夕食の時、由紀子が聞いた。
「ねえ、今度スポーツセンターへ行く時、私も連れて行ってくれる?」
郁夫は驚いて答えた。
「いいけど、君にできること、何かやっていたかなあ?」
「ちょっと見学したいものがあるの」
次の木曜日、由紀子は郁夫に付き添われてスポーツセンターへやってきた。
「どこへ行きたいんだい?」
「車椅子バスケの練習を見てみたいの」
郁夫は受付の職員のところへ行き、話し終わると戻って来て車椅子を押しながら言った。
「こっちだって」
廊下をくねくねと進み、たどりついた正面のドアの中から、車椅子がぶつかり合う音やボールの弾む音が聞こえてきた。
中に進むと数台の車椅子が走り回り、互いに声を掛け合う活気あふれる空間が現れた。すると、二人が入ってきたのに気付いた関係者らしき一人の男が歩み寄ってきた。
「何かご用でしょうか?」
郁夫は挨拶をしてからこう言った。
「妻が練習を拝見したいと言っていますので、隅で見させてもらうわけにはいかないでしょうか? 私はトレーニングルームにおりますので」
「かまいませんよ、でもボールが来ると危ないので、私のそばにいてください」
梨田光夫はそう言って、由紀子の車椅子を押して元の場所に戻って行った。その姿を見送り、郁夫は自分のトレーニングルームへ向かった。
「すみません、ご迷惑をおかけします」
「そんなことありませんよ、見学者がいたら彼らも張り合いがでると思いますから。
でもどうしてまた、見学してみようと思われたのですか? まさかおやりになりたいというわけではありませんよね?」
同年代に見える気安さから、由紀子の口も軽くなった。
「私がやってはおかしいですか?」
驚いて由紀子を見つめた梨田の表情がおかしくて、由紀子は思わず笑ってしまった。
「ごめんなさい、もちろん見学だけです。実は先日、車椅子バスケをやっているという青年に――」
その時入り口から、一人の青年が車椅子に乗って入ってきた。
「遅れてすみません!」
そう言うと、慣れた手つきで車椅子を操作しながらこちらへやってくる。
「意外と早かったな、もっとかかると思ったよ」
梨田はそう青年に声をかけると、由紀子に紹介した。
「息子なんです、今日通院日だったので、遅刻してきたところです」
お互い顔を見合わせた瞬間、あっ、と声を出した。
「何だ、この人お前の知り合いか?」
「いや、知り合いというわけでは……」
「あの、息子さんとは先日、たまたま道でお会いして……」
由紀子は経緯を話して、今日の見学もその出会いがきっかけであると告げた。
彼らの練習を間近で見ながら、由紀子は、これまで自分がいかに狭い世界の中に閉じこもっていたかを思い知らされた。
自分の周りで車椅子に乗っている人はいない。だから自分は特別だといつのまにか思い込んでいた。周りの人が気がつけば常に手助けをしてくれるものだと、それが当たり前だと思って暮らしてきた。特に郁夫の手助けは当然だと……
でもここにいる彼らと由紀子は同じ土俵にいる。彼らは誰にも助けを求めない。それでいて生き生きと輝いている。もちろん若さという違いはあるが、由紀子だってまだ老いているという程の年齢ではない。
しばらくして郁夫が迎えに来た。二人は梨田に礼を言って帰りの途に着いた。
車の中で、郁夫が由紀子に尋ねた。
「あんな男のスポーツ、おもしろくなかっただろう?」
「そんなことなかったわよ。また来たいわ」
郁夫は呆れて由紀子をちらっと見たが、由紀子は堂々と前を見据えていた。
(健常者のあなたにはわからないでしょうね、同じ立場にいる人と共にいる空間の温かさや安心感、その人たちががんばっている姿を見る心地よさを。そして、あなたと過ごすこの空間よりもはるかに居心地がいいということも……)