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孤独の行方

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第二章 町井瑠璃子(一)


 
 町井瑠璃子、四十八歳――
 みんな淋しくないのだろうか?
  
 瑠璃子はこの思いをずっと抱えて生きてきた。瑠璃子には兄弟がいない。子どもの頃の家には祖母と両親という大人がいるだけで、子どもは自分ひとり。
 夕方、友だちと別れて家に帰ると、そこはもう大人の世界。会話も大人が中心で、たまにその中に入ろうとすると、子どもが口を挟むものではないと叱られた。ひとりっ子なので、食べ物やおもちゃを争う必要はなかったが、とにかく話し相手が欲しかった。
 しかし、大きくなってくると自分の世界ができ、いつしかそんな不満はなくなった。友だちとの関係が濃密になり、家に帰っても自室にいることが多かった。友だちとのおしゃべり、おしゃれな洋服、青春時代は楽しく過ぎて行った。
 そして夫と出会い結婚、出産、育児――瞬く間に時は過ぎ、娘の里緒奈が高校生になった頃には、いつかの自分がそうであったように、娘は部屋にこもり、ろくに顔も見せなくなった。夫は働き盛りで毎晩のように遅く、日曜はゴルフで家を空けることもしばしばだ。
 
 ふと、子どもの頃の淋しさがよみがえってきた。家に誰も話し相手がいない、あの頃のような淋しさが。そんな時、定年を迎えた両親から二世帯住宅にして一緒に住まないかとの話が持ち込まれた。実家がかなり老朽化したので建て替える必要に迫られてのことだった。
 ひとりの淋しさを感じていた瑠璃子にとっては渡りに舟のタイミングだ。話し合いの末、すんなりと同居が決まった。一緒に住んだ方が経済的な上に、いずれは一人娘の瑠璃子が両親の世話をすることになっていたので、夫の聡にも異論はない。それから一年は新築の件で掛かりきりになり、淋しいなどと言っていることもなくなった。
 やがて家が完成し、同居生活が始まると、思ったより快適な毎日が待っていた。嫁ではないので気を使うこともないし、むしろ甘えることさえできた。里緒奈も親たちが仲良くやってくれるので、自分への関心が薄れてくれて助かっているようだった。
 
 ところが、それから数年して父が倒れ、帰らぬ人になると状況が一変した。残された母の麗子の落ち込みが、家中に伝染したかのように家の中がすっかり暗くなってしまったのだ。
 最初のうちはそれも仕方のないことと、みんなで麗子を慰めていた。しかし、一向に元気を取り戻さない麗子に、家族の誰もがだんだん声をかけなくなっていった。麗子はひとり部屋に閉じこもり、見捨てられたかのような疎外感に陥った。
 このままでは認知症になってしまうのではと心配になった瑠璃子は、麗子に散歩を勧めた。嫌がる麗子を強引に連れ出し、近くを歩いた。その距離はだんだん長くなり、時には電車に乗って買い物にまで行く時もあった。しだいに元気を取り戻し、ひとりでも外を歩き回るようになった麗子を見て瑠璃子はホッとした。
 
 そんな矢先、麗子はボーイフレンドと出かけると言いだしたのだ。もしや呆けてしまったのではないかと不安を抱えながら様子を見に行き、今では里緒奈の交際相手である緒方真一と出会った。
 そして、そのあとすぐに麗子があっけなく逝ってしまうと、また途切れていたあの孤独感が襲ってきた。今度は母を亡くした後ということもあり、今までになく強烈なものだった。夫は相変わらず仕事の世界に身を置き、娘は恋に夢中で瑠璃子の気持ちなど誰も気づこうとしない。
 
 そんなある日、高校時代の親友、伊藤麻里から誘いの電話があった。さっそくふたりは互いの家の中間あたりの駅で待ち合わせて、近くの喫茶店へ入った。
「おばさんのお葬式の時、あまりに落ち込んでいる様子だったから心配しちゃった。もう落ち着いた?」
 運ばれてきたコーヒーに砂糖を入れながら麻里が言った。
「うん、どうかな――母親って特別よね。父には悪いけど、父の時とは全然違う感じ」
 瑠璃子も砂糖とミルクを入れながら答えた。
「そうかもしれないわね。わかる気がする」
 コーヒーを一口飲んでから、麻里はバッグの中から一枚の印刷物を取り出して瑠璃子の前に広げた。
「私ね、この山歩きの会に入ったの。ちょうど、来週高尾山に行くんだけど一緒に行かない? 非会員も大歓迎なのよ。きっといい気分転換になると思って」
 瑠璃子はその用紙に印刷されている山の写真を見て、行ってみようかと思った。高尾山なら学生時代に登ったことがあるし、初心者でも楽しめそうだ。
「相変わらず、麻里は行動派ねえ。絵も習っているんでしょ?」
「そうよ、だから自然の中でスケッチをしたくて入会したのよ」
「ねえ、麻里はひとりで淋しいと思う時ない?」
 
 麻里は五年ほど前に離婚していた。人目を引く容姿の麻里は資産家の一人息子と結婚し、玉の輿だと当時は仲間内で騒がれたりした。しかし、そんな人も羨む結婚生活は長く続かなかった。子どもができず、夫が若い女を作り別れることになった。原因が夫にあるということで、かなりの慰謝料をもらったという噂が流れた。その後すぐに麻里の夫はその女と再婚したらしい。
 
「淋しいですって! ひとりの方が全然いいわよ。一緒にいて相手の気持ちが他にあることの方がよほど淋しいものよ。
 お金を持ちすぎると男はダメね。何でも手に入ると思っているのだから。あの人と結婚して手にできたのは物だけ。本当に大切なものは何ももらえなかった気がするわ。
 もう結婚は懲り懲り! もっと歳をとってどうしても淋しくなったら、茶飲み友達くらいは作るかもしれないけどね」
 麻里はそう言って、コーヒーを飲み干した。

作品名:孤独の行方 作家名:鏡湖