ミッちゃん・インポッシブル
1.ミッちゃんと魔法のコンパクト
「ゴホッ、ゴホッ……あの、すみません、風邪薬を、ゴホッ……ください」
「まあ、そんなに咳き込んで……お気の毒に……」
「え?……あ、はい……ゴホゴホ……辛いんですよ」
ミッちゃんに顔を下から舐め上げるように見つめられると、大抵の男性客はポワ~ンとなってしまう。
「あの……お熱は?」
「あ、はい……なんだか急に上がってきちゃったみたいで……」
「それは大変、おくすりをお選びしますね、こちらのおくすりはせきによく効きますのよ、それで、こちらのはお熱を下げて楽になりますの……あと、どちらにも効くのは……」
「せきと熱の両方をください」
「はい♥ どうもありがとうございます」
ミッちゃんが真っ直ぐで艶やかな長~い黒髪を垂らして深々とお辞儀をすると、ほのかな髪の匂いが男性の鼻腔をくすぐり、ブラウスの胸元からは深い谷間が覗く、見上げる目は半月型で、パッチリしているのに切れ長、しかもたっぷりした涙袋のせいか少し潤んで見える。
とがった方を下にした卵型の輪郭に白い肌、艶やかな桜色に光るほんの少しふっくらとした頬はいかにも柔らかそうで、思わず指先でつついてみたくなる、そして、艶やかに光る、ちょっとぽってりした唇は自分だけのものにしたいと願わずにいられない。
背はあまり高くないので、背後の薬棚から薬を取るのに背伸びをすると、細い足首から締まったふくらはぎ、程好い肉付きの太腿にかけて緊張が走り、ぴったりしたタイトスカートには下着のラインが浮かぶ、そしてその小さな布に包まれた部分のふくよかな柔らかさを強調する。
長い髪がかかるのはすんなりとした撫で肩と華奢な背中、きゅっと締まった腰は、抱きしめたら腕の中にすっぽり収まりそう……。
「お待たせいたしました♥」
ちっとも待ってなんか居ない、薬を紙袋に入れる細くて長い指先をもっと眺めていたかったくらいだ。
「おつりとレシートを……」
差し出した掌を包み込むようにして渡されると、つい『今夜、何かご予定はありますか?』と聴いてしまいそうになる。
ミッちゃんこと光子はこのドラッグストアの看板娘だ。
いや、看板『娘』と言うほどに若いわけではない、満三十三歳、いわゆる女盛りでとにかく色っぽい、ミッちゃんが接客すると、男性客はついつい余計なものまで買ってしまい、売り上げ大幅UPに絶大なる貢献をしているのだ。
ミッちゃんという呼称はもちろん光子と言う名前から来ているのだが、もう一つ隠れた意味もある……あのセクシーなグラビアアイドルに実に良く似ているから……男性スタッフの間ではむしろそっちの意味合いが強い。
「いらっしゃいませ……歯ブラシと、髭剃りと、洗顔フォームと……こちらでよろしいでしょうか?」
「あ……ついでに後ろの棚の育毛剤も……」
「いらっしゃいませ……歯磨き粉と、剃刀と、シャンプーと……こちらでよろしいでしょうか?」
「あ……ついでに後ろの棚の痔の薬も……」
「いらっしゃいませ……芳香剤と、のし袋と、毛糸の帽子と……あら帽子の中に?」
「あ、いや、それも一緒に……別にごまかそうというわけでは……」
「うふふ……奥様、お幸せでいらっしゃいますわね♥」
「いやぁ……もう子供は三人居るもので、きちんと家族計画をしないとな、なんて、ははははははは……」
売り上げ倍増である。
ミッちゃんには特別ボーナスを出しても良いくらいだが、そう言うわけにも行かないので、ミッちゃんの定位置は外からでも良く見える薬棚の前のレジ、多少暇な時間帯でも雑用をさせるよりもそこにずっといてもらったほうが売り上げに効果的というものだ。
最近では噂が噂を呼んで、わざわざ遠くから買い物に来るお客さんもいるくらいなのだから。
「お疲れ様でした~」
「気をつけて帰るんだよ、暗い道とか通らないようにね」
「大丈夫ですよぉ」
「そんな事ないって、俺なんか暗い道でミッちゃんと出くわしたら抱きつかないで居られる自信ないもんな」
「もぉ、店長ったら、大げさなんだからぁ……お先で~す♥」
電車を降り、ひとり暮らしのアパートに帰る道すがら、ミッちゃんは物陰にさっと隠れるとコンパクトを取り出す。
半年ほど前のことだ。
まるで玩具のようなコンパクト、これをふと道端で拾ったことで生活がガラリと変わった。
「テクマクマヤコン、なんちゃって」
なんとなく再放送のアニメで見たコンパクトに似ていたので、鏡を開いて冗談半分に呪文を唱えると……なんと鏡の中の自分の姿が七色の光に包まれたではないか!
「え? あ、どうしよ、どうしよ……○蜜になぁれ!」
とっさに思いついた名前を口走ると、アラ不思議、光子はミッちゃんに変身したのだ。
それを契機に店を変わった。
素の光子は平凡……と言うには少し足らないルックスの持ち主。
人より少し顔が大きく、大きく張ったエラがなお大きく見せてしまう。
コンタクトレンズが目に合わないのでメガネは外せない、そしてそのメガネの奥の目は切れ長……と呼ぶには少し細すぎる目、そして小ぶりな鼻とおちょぼ口、要するに顔の面積に対して造作が全体的に小ぶりすぎて少々バランスが良くないのだ。
人一倍優しく純粋、真面目で勤勉な上に人の気持ちも良く思いやることが出来るのだが、人は光子の心根を知る前にルックスで判断してしまう。
そして、少しばかり自己主張が苦手で人の嫌がる仕事も率先してやるのも災いしたのか、前の店では雑用、裏方ばかり……本当は接客がやりたかったのに……魔法のコンパクトの使用法をそこまでしか思いつかないのは、光子の純朴さゆえなのだが……。
「ラミパス ラミパス ルルルルルン」
元に戻る呪文もアニメと同じだった。
元に戻る必要があるのかないのか……良くわからないが、とりあえずミッちゃんでいるのは素でいるよりちょっと疲れるから……。
「ふぅ」
光子はコーヒーを飲んで一息入れ、そして考える。
「あのコンパクトのおかげで生活変わったけど、いつまでもあれに頼っていて良いのかな……」
大丈夫だよ、光子ちゃん。
その控えめで純朴な気持ちを忘れなければ、いつか王子様……とまでは行かなくても優しい男がきっと君の前に現れるから。
本当の魔法は君の心の中にあるのさ……。
(続く)
作品名:ミッちゃん・インポッシブル 作家名:ST