家族の季節
康夫が仕事を終えて戻ると、葉子が食事の支度をして待っていた。テーブルには家庭料理が数品並べられ、忘れていた食卓というものを康夫に思い起こさせた。
「これ、どうしたんだ?」
「ご近所さんから食材を分けてもらったの。東京からのお土産と物々交換みたいな……」
康夫は呆れた表情をしたものの、この家に来て初めて見た家庭の雰囲気に心が和むのを感じた。今さらながら、妻の存在の大きさを感じたがすべては遅い。
「済んでない話って何だ?」
そう言って惣菜を口に入れると、懐かしい味がした。長年慣れ親しんだ味に反応する舌に康夫は複雑な思いがした。
「私ね、婚活しているの」
葉子はさらりと言った。不意打ちをくらった康夫は、もう少しで食べ物を喉に詰まらせるところだった。咳き込む康夫に、お茶を勧めながら、葉子は続けた。
「婚活パーティーにも出席したのよ」
「それで誰か見つけたのか?」
お茶を飲んでようやく落ち着いた康夫が尋ねた。
「気になる?」
「そりゃ、全く気にならないといったら嘘になるが……」
「いろいろ考えてね、決めた人がいるの」
「そうか、うまくいくといいな」
「本当にそう思う?」
「お前、いや葉子さんがそう望むならそうなればいいかなと」
「そう、じゃあ私がんばるわ!」
「もしかして、話ってそのことか?」
「そうよ、私の婚活よ」
別れた妻に振り回されている自分が情けなく思えてきた康夫は、箸をおいて言った。
「あのなあ、葉子さん、今日はこうしておいしい物を用意してくれたことは感謝するよ。島に遊びに来るのもいい。
でもいちいち、結婚話を聞かせに来ることはないんじゃないか!」
「あら、今あなたはがんばれって言ってくれたじゃない、だから私はがんばっているのよ」
康夫は、葉子の言っている意味がわからず苛立った。
「だから勝手にがんばってくれよ、俺を巻き込まずに!」
「それは無理だわ。だって相手はあなたですもの」
康夫はぽかーんと口を開けたまま、頭は混乱状態に陥った。
(葉子は何を言っているんだ? 婚活パーティーはどうなったんだ? どうして相手が俺なんだ?)
葉子は平然と食事を続けていた。
「なあ、葉子、さん、それってもしかして俺と復縁するってことか?」
「ええ、条件を飲んでもらえればね」
「条件?」
「そうよ、同じことを繰り返しては何にもならないでしょ?」
たしかに一理ある、と康夫は納得した。もう離婚だなんてあんな思いは二度とご免だ。
「その条件とは?」
「何でも一緒に考えて決める事。私のことを、母さんではなく葉子さんと呼ぶ事」
「それだけ?」
「そうねえ、あと、あらためてプロポーズをすることかな、心のこもったプロポーズをね」
「そうかあ、残念だが最後の条件だけは飲めないかな……」
康夫の意地悪な小学生のような態度に、葉子は負けずに、
「わかりました。ではこの話はなかったことに――」
と言うと、康夫は慌てて、
「冗談だよ、もちろん全部飲むよ、葉子さん」
康夫はそう言って、葉子を見つめた。
* * * * * * * *
次の日曜日、葉子の五十八回目の誕生日を祝う会が開かれた。
千佳と茂樹、直人と理恵子、それぞれの子どもたち、そして康夫の姿があった。みんながそれぞれの席に着くと直人が立ちあがって話し始めた。
「母さん、今日はお誕生日おめでとう!
それからもうひとつお祝いすることがあるんだよね? その辺のことは今日説明してくれるということで、とても気になっていたけど我慢していたよ。まあ、さっき父さんの姿を見てだいたいわかったけどね。父さんから説明してくれるのかな?」
「座ったままで失礼するよ、その方が話しやすいから」
そう言って康夫は話し始めた。
「去年のクリスマス、今のように楽しい会の最中に、突然離婚を知らせてみんなに心配をかけておきながら、こうしてまたすぐに戻ってくるというのは、実にバツの悪い話なのだが、葉子さんと新たに生きていくことにした。父さん母さんというのではなく、ひとりの男とひとりの女としてね。
体が元気なうちは島でふたりで暮らそうと話し合った。でもいつか、年老いてふたりだけではやっていけなくなったら、ここに帰らせてもらいたいんだが、いいかな?」
千佳が答えた。
「何言ってるの! ここはお父さんたちの家じゃない! いつでも堂々と帰ってきたらいいじゃないの。それまで直人がこの家を守るわよね?」
「ああ、もちろんいつでも帰っておいでよ。でも母さんがいなくなったら理恵ちゃんが淋しがるだろうなあ」
「そんなわけないわよね、理恵子さん? 姑なんかいないに越したことないんだから」
千佳が大げさに冗談めいた口調で言った。すると理恵子は、
「お義母さん、遊びに行ってもいいですか?」
と真顔で尋ねた。
「やだ、こんなに仲のいい嫁姑なんて見たことないわ」
千佳は呆れながらも、心の中で理恵子に感謝した。
主役の葉子は、家族のそんなやり取りをただ黙って聞いていた、幸せを胸いっぱいに噛みしめながら。
完