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家族の季節

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新たな春


 晴れ渡った青空の下、香しい果実に囲まれていつものように作業をしている康夫に、仲間が声をかけた。
「根岸さ〜ん! お客さんだよ〜」
 振り向くと果樹園の入り口にひとりの女性が立っている。すぐに葉子だとわかり、康夫はひどく驚いた。
(家で何かあったのだろうか?)
という思いが真っ先に浮かんだ。だが、それならまず連絡をしてくるだろうし、葉子の表情からもそんな様子はうかがえない。康夫は足早に近づいて、久しぶりに会う元妻に話しかけた。
「驚いたな、どうしたんだ?」
「突然、ごめんなさい。ちょっと話があって……
 それに一度、あなたの住んでいる所も見てみたかったし」
「もうすぐ昼休みになるから、ちょっとその辺で待っていてくれないか」
 そう言うと、康夫は仕事に戻って行った。
 
 葉子は仕事の邪魔にならないよう、果樹園を後にした。
 あたりはどこも木々にあふれていた。陽の光は柔らかく体を包み込み、心地よい潮風はやさしく髪を撫でていく。こんなところで暮らしてみたいという康夫の気持ちが初めてわかった気がした。
 華やかな都会の暮らしに魅力を感じるのは若い時だけだ。この歳になれば着飾って舗道を歩いても、ウインドーに映る姿は気持ちを落胆させるだけだし、友人たちと集まっても、もはや街を彩る光景にはならない。
 もうあなたたちの時代は終わったんだよ、どこからかそんな言葉が聞こえてくるようだった。そんな過去の虚像をただ映し出すだけの都会とは違い、このような自然はありのままを温かく受け入れてくれる、そう思えた。
 
 しばらくすると、後ろで葉子を呼ぶ声がした。
「葉子さ〜ん!」
 その声は聞き慣れた康夫のものだが、呼び方が違うので不思議な感覚を覚えた。
「こっちにいい場所があるんだ。昼まだだろう? 園の人が弁当を分けてくれたから一緒に食べよう」
 そう言って康夫が連れて行ったのは、見晴らしのいい丘の上だった。そこからは瀬戸内海が一望できた。ふたりは美しい海に向かって並んで座り、弁当を広げた。
 
「本当に驚いたよ。君が訪ねて来てくれるなんて思ってもいなかったから。元気だったかい? と言ってもまだあれから三か月しかたっていないか……」
「あなたの方はどう? ここの暮らしにはもう慣れた?」
「ああ、毎日体を動かして働くのは気持ちいいよ。こんなすばらしい自然の中だしね。ただ……」
「ただ?」
「働いている時はいいんだが、夜はちょっとな……果樹園の仲間とたまに飲みに行くこともあるんだが」
「そう……」
「夜になると、東京と違って静寂に包まれるんだ。娯楽というようなものは何もなくてテレビを見るくらいだしな。地元の人はいい人たちだが、昔からの知り合いというわけではないから話が合わないことも多いし……
 俺、何言ってるんだろう、愚痴ばっかりで情けないな。自分で来たくて来たのにな」
「ねえ、こんなのってどうかしら? 体が動くうちはここで働いて、働けなくなったら皆さんに迷惑だから東京に戻る」
「戻るって言ったってもう戻るところなんかないし……
 そういえば、君は何か用があってきたんじゃないのか? 千佳や直人たちは元気でやっているんだろう?」
「ええ、みんな元気よ。
 今日はあなたを招待しに来たの。今度の日曜、私のお誕生日会を開いてくれるそうだから」
 別れた亭主を誕生日に招待する? この意外な提案に、康夫は驚いた。
「みんなの顔は見たいけど、俺が行くのはおかしくないか?」
「どうして? 家族じゃない!」
「まあ、子どもたちとは縁が切れたわけではないが……」
「私とは他人だというわけ?」
「まあな」
「さっき、私のこと、葉子さんて呼んでくれたでしょ? 新鮮だったな……それにうれしかった……」
「だってそう呼ぶしかないじゃないか、母さんと呼ぶわけにもいかないし」
「当たり前でしょ! もう母さんはたくさん!」
 会話が途切れ、ふたりは弁当を口に運び続けた。

「そろそろ仕事に戻らなくちゃ。もう東京へ帰るんだろう? 船に乗り遅れたら大変だぞ」
「まだ話が済んでないから、今日は泊まっていくわ」
 康夫は目を丸くして言った。
「泊まるって言ったって、島に宿なんかないぞ」
「あなたの家があるじゃない」
 葉子は澄ました顔でそう言うと、立ち上がり歩き始めた。
「どこへ行くんだ?」
「もちろん、あなたの家よ。近くなんでしょ? 行き方教えて。仕事が終わるのを待っているから」
 道すがら、葉子は今日は戻らない旨を理恵子に連絡した。
 
作品名:家族の季節 作家名:鏡湖