家族の季節
夫の秋(三)
それから次の休みまで、今までと何も変わらない日々が過ぎていった。
朝になると、葉子はいつものように朝食の支度をし、康夫を送り出す。そして康夫が帰宅すると、いつものように風呂と食事の準備ができていた。三十年という年月の間に、生活は習慣となって互いの身に沁みつき、心はどうあれ自然と体は動いていく。
そんな日々を送るうちに、康夫は、もしかしたらあれは葉子の自分に対するお灸のようなもので、そのうちほとぼりが冷めるのではないだろうかと思えてきた。
そしてやってきた休日、また直人たちが出かけていくと、葉子が康夫のところへとやってきた。康夫は緊張で体が硬くなるのを感じた。また、あの話を蒸し返されるのだろうか?
「お父さん、この前の資料まだある?」
葉子は意外なことを言った。
「ああ、あるけど――」
「ちょっと見せてくれる?」
康夫は顔には出さなかったがひどく驚き、同時に心が舞い上がるのを感じた。
(母さん……)
いそいそと資料をもって戻ってくると、それらを葉子の前に広げうれしそうに説明し始めた。ニコニコとその説明を聞いていた葉子が言った。
「実際に見てきたらどう? 現地に行ってみないとわからないこともあるでしょうから」
「そうだな、早速来週にでも行こうか?」
「そうね、行ってらっしゃい」
「行ってらっしゃいって、もちろん母さんも行くだろう?」
驚いた顔で葉子が言った。
「どうして私が?」
「どうしてって、母さんだって見ておいた方がいいからだよ」
「私が暮らすわけでもないのにどうして?」
「えっ、資料が見たいって言ったのは母さんじゃないか!」
「ええ、お父さんがどんなところに暮らすのかなあと思ったから見せてもらったのよ」
怒りに震え、康夫は立ち上がった。
その怒りは葉子に対してなのか、それとも勝手に勘違いして有頂天になった自分に対してなのかわからない。そんな自分の感情を必死にこらえ、康夫はその場を離れた。
夜になり、再び夫婦ふたりになると、葉子は言った。
「昼間はごめんなさい、紛らわしいことをしてしまって。でも写真で見ただけだけど、本当に素敵な所みたいね。いつか私も遊びに行ってみたいわ」
「…………」
「来週にでも本当に行って来たら?」
(どうしても俺を追い出したいんだな)
「三十年もいっしょに暮らしたんですから、けんか別れなんかしたくないのよ。本当にいつか、あなたが暮らしているところに遊びに行かれたらと思うのよ。そんな元夫婦もいいものじゃないかしら」
離婚届という爆弾をチラつかされ、手玉に取られているような腹立たしさを抑えられなくなった康夫は、思ってもいないことを口走ってしまった。
「そんなに別れたいだなんて、おまえ、男でもいるんじゃないか?」
それ以来、葉子は口をきかなくなってしまった。