小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

家族の季節

INDEX|1ページ/19ページ|

次のページ
 

娘の春(一)

 
 こんなはずではなかった―
 根岸葉子は、不機嫌な娘をなだめる自分にため息をついていた。
 
 
 東京郊外の閑静な住宅地。宅地用に開発された町並みは道路も広く、それに沿うようにきれいに戸建てが並び、所々に配置された公園の緑が安らぎを与えている。難を言えば坂道が多いことくらいだろう。
 結婚とともに手に入れたこのマイホームはとても住みやすく、葉子はこの環境に十分満足して暮らしてきた。当時は途方もなく長く感じた長期ローンも無事完済し、子育ても終わり、あとは夫とふたり悠々自適の暮らしが待っているはずだった。
 
 葉子は今日四月八日で五十七歳になった。食品会社に勤める夫、康夫は先月六十歳になり還暦を迎えた。結婚三十周年とも重なり、今年は何かささやかなお祝いでもと葉子は考えていた。豪華客船でのクルーズとまではいかなくても、ちょっとした国内旅行を計画するという思いがどこかにあった。
 娘の千佳は二十八歳で六年前に結婚し、五歳の娘がいる。息子の直人は二十五歳、会社勤めをしながらこの家にいるが、仕事で遅くなることが多く寝に帰るような毎日だ。 
 葉子の誕生日など毎年家族は忘れている。ちょうど花見の時期に当たるので、昔の友だちと集まって楽しく過ごすのが例年のことだった。しかし、今年は異常に早く桜が咲いてしまい、花見の口実がつかず、誰からも声がかからないまま、恒例行事は流れてしまった。もう来年もないかもしれない、ふと葉子はそんな気がした。物事には始まりがあれば終わりもある。毎年、というのはある意味どこかに無理があって、会いたい時に集まる方が自然なのかもしれない。
 
 今年はちょっと洒落た店でケーキを奮発して、前から欲しかったブラウスでも買い、ひとり誕生祝をすることにした。
 そして、出かける支度をしていた時、玄関のチャイムが鳴った。やってきたのは、娘の千佳だった。五歳の愛の手を引いて入ってきた千佳を見て、葉子は自分の誕生日を祝いに来てくれたのだと思い、思わぬ来客を笑顔で迎え入れた。
 しかし、千佳の表情を見るなり、一瞬で自分の勘違いだと気がついた。
「お母さん、今日泊まらせて」
「それはいいけど、いったいどうしたの?」
 靴を脱ぐなり、大きなカバンを抱えてつかつかとダイニングに向かう娘の後を追いながら、葉子は面倒な話を聞かされる心の準備をした。
 千佳は、菓子と絵本を持って愛を奥の和室に連れて行くと、ひとりでダイニングに戻ってきた。そして、ひと言つぶやいた。
「茂樹に女がいた」
「えっ! まさか、茂樹さんに限ってそんな―確かなの?」
 茂樹は見るからに誠実で温和で良き夫のはずだ。愛のこともとても可愛がり、少々気の強い千佳とは相性がよく思える。
「それで、茂樹さんはなんて言っているの?」
「顔を見るのも嫌だから朝一番で家を出てきたわ」
 葉子は呆れ顔で聞いた。
「だいたいどうして女の人がいるってわかったの?」
「携帯よ! 最近夜中にこそこそ携帯を見ているからおかしいと思っていたのよ。そうしたら昨日ひどく酔っぱらって帰ってきて、爆睡しているところにメールが来たの。何度も鳴るから緊急な要件かもしれないと思って見てみたら女からだったっていうわけ」
「それでどうするつもり? 愛のこともよく考えなさいね」
「そんなこと、向こうに言ってよ!」
「とにかく連絡しないと心配するでしょ」
「嫌よ、話したくないのよ! だから携帯も電源切っているの。しばらくここに置いて」
 ちょうどその時、家の電話が鳴った。
「ほら、きっと茂樹さんよ、早く出なさい」
「だから話したくないって言ってるでしょ! お母さん出てよ」
そう言うと、千佳は愛のいる奥の部屋へ行ってしまった。
 しかたなく葉子が受話器を取ると、やはり茂樹からだった。
「あっすみません、お義母さん。千佳がそちらに……」
「ええ、来ていますよ、愛も一緒ですから心配いらないですよ」
「そうですか、あの千佳を……」
「ごめんなさい、今ちょっと手が離せなくて」
「僕と話すのが嫌だと言っているのですね。では伝えてください。今日は仕事を休んだから、駅前のいつもの店で待っていると。来るまで待っているからと言って下さい。お願いします」
 電話が終わったのを見計らって、千佳が戻って来て聞いた。
「何だって?」
「気になるなら自分で出ればよかったじゃない。駅前のいつものお店で待っているって。仕事を休んだそうよ。来るまで待ってるそうだから、早く行って来なさい。愛は私が見ているから」
「行くわけないじゃない、顔も見たくないって言ったでしょ!」
 
 押し問答の末、一時間後葉子は家を出た。わが子ながら言い出したら聞かないところは困りものだ。小さい頃からそうだった。三つ子の魂百までとはよく言ったものだと、葉子は憂鬱な役回りを背負わされて駅前の店へと向かった。

作品名:家族の季節 作家名:鏡湖