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てっしゅう
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novelistID. 29231
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「歴女先生教えて~パート2」 第三十五話

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実はウスマーンだけではなく、二代カリフのウマルも暗殺されている。
アリーがカリフになった時に待ったをかけた男が居たの。シリア総督になって、ダマスカスの宮殿にいたウマイヤ家のムアーウィヤという人。
彼は、イスラムはシリアもメソポタミアもエジプトも統治する大きな国になったのだから、マディーナのような小さな町からダマスカスのような世界の中心に近い大都市に都をおいて、官僚制を整えるべきだと述べた。

これに対して、アリーは戦友同士が一緒に戦って、みんなで膝を交えて話し合うのが、イスラムだ、とのいわば直接民主主義の考え方をしていたと思われるの。
ムアーウィヤとアリーは肌合いが異なっていたという事ね。
二人は争い合うんだけど、決着がつかず和睦したの。それが引き金になって反発する急先鋒の刺客にアリーはモスクで殺され、ダマスカスにいたムアーウィヤが新しいカリフとなる。
ダマスカスに都を定めて、ウマイヤ朝を開いた(661年)このイスラム王朝は世襲制となった。殺されたアリーの息子のうち長男はムアーウィヤを認めたんだけど、次男のフサインは反発した。

そして長男が死んだあとウマイヤ朝に反旗を翻したんだけど、フサインは殺された。
そして、フサインの子供たちを担いで残された市民たちは戦ってゆくしかないと決意する。
このグループが、シーア派なの。
元々は、アリーに続くハサン、フサインの一族を支持する党派を、シーア・ハリーと呼んだことから始まったの。このシーア派に対して、カリフに従った多数派をスンナ派と呼ぶ。スンナとは慣行(従来通り行なう)という意味ね。これ以降、イスラム社会ではスンナ派とシーア派が存在するようになったというわけ」


*シーア派のイマーム(アリー一族の直系をこう呼ぶ)、フサインには妻がいました。
彼女はサーサーン朝ペルシャの皇女だったという事で、フサインの子供たちはムハンマドの血筋と、ペルシャのアカイメネス朝以来の高貴な血筋を継いでいるという事になります。なので、シーア派はイランの人々の琴線に訴えることになります。
誤解を恐れずに書くと、イスラムの政権運営は寛容を旨としていました。税金(通常税とジズヤと呼ばれる人頭税)さえ払えば、今まで通りの宗教や習俗は認めるという考え方でした。イスラム教の創始者ムハンマドは商人だったことから、合理性を重んじたという事になります。全世界でイスラム教が広がっている根本の理由だと考えられます(出口治明著:全世界史より抜粋)