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てっしゅう
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novelistID. 29231
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「歴女先生教えて~パート2」 第三十五話

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「イスラムについてはキリスト教と並んで重要なことだから、少し補てんします。
創始者のムハンマドは商人だった。40歳ぐらいの頃にマッカ郊外のヒラー山の洞窟で、アッラーの啓示を受け、預言者としての自覚を持つようになるの。クライシュ族と言われる多神教を信じる部族の出身者だったから、彼らの迫害を恐れてムハンマドは家族と共にヤスリブ(現マディーナ)に逃れたの。ヤスリブはアラビア半島の紅海側のマッカから少し北に行った場所よ。時に622年。

イスラム教では、これをヒジュラ(聖遷)と呼びイスラム暦の元年としているの。その場所で信者を増やし、630年にクライシュ族を打ち破って、マッカのカアバ神殿の偶像をすべて撤去し、キスワと呼ばれる布で包んだの。軍人としても政治家としても超一流だったムハンマドは、短期間で一神教を成立させたのだけど、数年を経ずに亡くなってしまった。650年に第三代のカリフであるウスマーンが、ムハンマドから直接教えを受けた人々の話を集めて、聖典クルアーンの編纂を行なった。編纂後すべての当時出回っていた異本を焼却した。ここが注目すべきところなの。

新約聖書はイエスの死後半世紀ほど経過してから、イエスと直接会ったことのない無名の人々によって、まとめられた。なので、異本もたくさんあるの。仏教の第一回仏典結集(ぶってんけつじゅう)はブッダの死後間もなく行われたけど、ブッダの死後500年以上を経過してから、膨大な量の大乗仏教経典が無名の人々によって書かれている。
イスラムの場合は教祖の死後18年で、この教えが正しい!という完璧な聖典が作られてしまった訳。という事は、異論の出しようがない宗教集団が作られたことを意味するの。この事と、優れたカリフ(イスラムの政治的指導者)が続いたことで、イスラム帝国の急速な成長になったという事が推測されるわ」

「先生、よくテレビで聞くシーア派とか言うのはどういう人たちなんですか?」

「大切な部分よね、そこは。よく質問してくれたわ。簡単には言えないんだけど、政治的指導者のカリフは、アブー・バクル、ウマル、と続いた後、第三代を名門ウマイヤ家のウスマーンとムハンマドの娘婿アリーが選挙で争ったの。その結果、ウスマーンが勝って第三代のカリフになった。彼はクルアーンを作った後に暗殺されてしまうの。そして、そのあとを継いでアリーが第四代のカリフとなった。