「見返り柳」改稿・人情噺編
「はあ、そう言うわけけぇ、大事にされた道具にゃ魂が宿るって言うからなぁ」
「その花魁が悪い病を背負い込みまして……酷いとこでございますねぇ、吉原ってとこは……人も道具も使えなくなったらポイでございますよ」
「亡くなっちまったのか、その花魁は」
「へぇ、亡骸は浄閑寺へ抛り込まれました……あたしもこんなぼろ傘でございますから、花魁と一緒に」
「投げ込み寺ってやつだな? 可哀想に……」
「可哀想と思ってくれやすか、ありがとうございます……実を申しますと花魁があたしを大事にしてくれてたのは深~い訳があるんでございます」
「その訳ってぇのは?」
「花魁には想い人がいたんでございますよ」
「間夫(まぶ)ってやつけぇ?」
「そんなんじゃございません、花魁がここに来る前のことでございます……花魁は武蔵野の出でして、きょうだいが多い上におとっつぁんが体を悪くしまして……」
「なるほどなぁ、好きな男がいたのに金の為に仕方なく……ってことけぇ」
「へぇ、花魁が好きだった人ってのは一回りも年上の人でして、やっぱりお百姓でしたが、働き者の上に字が読めて、雨が降れば静かに本を読んで暮らすと言う、たいそうちゃんとした方でして……その頃、まだ花魁は十二でしたから、相手にもしてもらえまいと想いを口にもできなかったそうで……売られる前の晩は泣き明かしたそうでございます、で、女衒が迎えに来た日は今日のような雨の日でしたが、食うや食わずでしたから唐傘の一本もありやせん、おっかさんが編んでくれた笠だけかぶって女衒の後をとぼとぼと歩いていますと、その想い人にばったりと出くわしまして……その時に『ぼろ傘だがこれをさして行きんさい、年季(ねん)が明ければきっと帰れる、辛かろうが頑張って生きるんだよ……』とその人が親切に差し出してくれたのがあたしだったと言う訳でして」
「そうけぇ……そんな思いがあったのけぇ……なんだかおらにもそんな思い出があるんだ、他人事とは思えねぇや……」
「他人事じゃないんでございます」
「へ?」
「花魁の本当の名前はお留と……十二年前のことでございます」
「え?……あのお留坊かい? あの時傘をやった……そうだったのかい……」
「お留さんにしてみれば、いよいよ売られて行くと言う時に好きな人に優しい言葉をかけて貰って、傘まで貰ったたんですから、忘れられなかったんでございますね」
「おらぁつくづく朴念仁だな、お留坊が慕ってくれてるなんてちっとも気づかなかった……」
「いえ、あの時貴方様は二十四でしたからな、無理もござんせん……で、そのお留さんが病に伏せっても吉原じゃろくに医者にも診せずに……お留さんのなきがらと一緒に寺に投げ込まれた時、あたしは『こんな薄情な吉原には客が来ないようにしてやる』と思いやして」
「なるほどなぁ、それで女の幽霊に化けて吉原に来る男を驚かしてたってぇわけか」
「でも、そのうちにだんだん見物が増えてきて、却って吉原も賑わっちまいまして……」
「そうだなぁ……だけんど、どうしてそん時に化けるのをやめなかっただかね?」
「へぇ、武蔵野からも見物が来てると知りやして、もっと噂が広まれば、もしや貴方様に会えるんじゃないかと、もし会えたなら、ついぞ言えなかったお留さんの想いを一言伝えられるんじゃないかと思いまして、今日の今日まで……でも、これでその願いは叶いやしたからきっぱりとやめられます……」
「そういうことけぇ……いや、良く教えてくれなすっただなぁ……そうか、お留坊は亡くなっただか……苦界っつぅくらいだからなぁ、勤めはさぞ辛かったろうになぁ、その挙句に投げ込みたぁ哀れだ……おらもあん時何もしてやれねぇで……」
「とんでもございやせん、お留さんは貴方様の思い出があったからこそ生きられたんでございます、いつか年季が明けたら貴方様にもう一度会いたい、その想いを抱いて勤めてたんでございます……亡くなる時も朋輩にあっしを持ってくるように頼みやして、しっかりと胸に抱いて亡くなったんでございます……」
「そうけぇ……浄閑寺だったな……せめて線香のひとつもあげて、花の一束も供えてやってから帰ることにすべぇ……」
「へぇ……何よりのお言葉で……お留さんもきっと浮かばれます」
「しかし、お前さんもよく頑張っただなぁ……一人であれだけのお化けを出すのはさぞ大変だったろうに」
「へぇ……骨が折れやした、傘だけに……」
吉原は見返り柳のお化け騒動、その顛末の一席でございました。
お後がよろしいようで。
作品名:「見返り柳」改稿・人情噺編 作家名:ST