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第四章 動乱の居城より

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『貴族(シャトーア)の誘拐』という罪をでっち上げ、凶賊(ダリジィン)が逆らえない警察隊を使い、イーレオを捕らえようという腹である。あの指揮官が、斑目一族と裏で繋がっているというわけだ。
 あの男は『藤咲メイシアの死体』が届けられるのを待っている。大人数の警察隊員で撹乱し、あとから到着するそれを、あたかも初めからあったかのように『発見』し、証拠が上がったことにする。
 ルイフォンがメイシアを街へ連れ出していなければ、屋敷から貴族(シャトーア)の令嬢を『救出』したという名誉が与えられたのかもしれないが、それは言っても仕方のないことだ。こちらにしても、メイシアやルイフォンが危険な目に遭っているのだから、痛み分けどころか、釣りが出るだろう。
「ルイフォン」
 イーレオは、電話口に向かって声を放った。
 回線は、開きっぱなしになっている。彼らを乗せた車は屋敷に向かって急行しており、大モニタに映しだされた位置情報を示す光点は、かなりのスピードで移動していた。
「こちらの状況は聞こえたな?」
『ああ』
 ルイフォンのテノールがざらついた音声に聞こえるのは、通信状況のせいか、彼の負った傷のためか。
「こちらのことは心配するな。お前たちは、人目につかないようにその辺で遊んできていいぞ」
『祖父上! 何を呑気なことを言っているんですか!』
 イーレオの楽天的な物言いに、声を荒立てたのはリュイセンだった。生真面目に怒鳴る彼のこめかみに、青筋が立っているであろうことは、離れた距離にいても容易に想像できる。イーレオとよく似た声質を持つ直系の孫は、容姿は祖父に酷似していたが、性格的には、ほぼ対極にあった。
 そして、それをなだめる末の息子の姿も、イーレオの目には見えていた。
 リュイセンとは逆に、外見はまるで似ていないものの、父とよく似た性格をしているルイフォンである。
『リュイセン、今、俺たちが屋敷に戻ったら、鷹刀の若い衆が誘拐した貴族(シャトーア)の令嬢を連れ回し、弄んでいた――と即、逮捕されるだけだぞ』
 ――と、そのとき。
 イーレオの耳に、硝子窓越しに小さく、しかし鋭い銃声が響いた。
 それから、ほんのわずかに遅れて……ミンウェイに付けられた盗聴器が、魂を撃ちぬくような轟音を送ってくる。
「ミンウェイ!」
 窓際に寄ろうとしたイーレオを、チャオラウが制した。
「威嚇射撃です」
 ずっと監視の目を光らせていた彼は、努めて冷静に報告する。その言葉に被るように、盗聴器から押し殺したような笑いを含んだ声が響いた。
『つい、指が滑ってしまいました』
「緋扇シュアンです」
 チャオラウには、遠目にも分かる。
 ――否、遠くから全体を見渡しているからこそ、他の者とは動きが異なるのがはっきりと分かる。
 行動が予測不能な『狂犬』、緋扇シュアン――屋敷の門衛に拳銃を突きつけた男。
 彼は、ぼさぼさに絡みあった頭髪を掻き、参った参ったと首を振った。
『始末書は、あとで書きますよ、上官殿』


 シュアンの声は、執務室を経由して、ルイフォンたちの乗る車まで届いていた。
「一族の非常時だぞ! 俺だけでも屋敷に戻る!」
 整った眉を吊り上げ、肩までの髪を振り乱し、リュイセンが烈火の如く吠えた。狭い車内で立ち上がり、走行中の車から今にも飛び出しそうな勢いである。
「おい、リュイセン、落ち着け!」
 ルイフォンは体格の違う年上の甥を押さえつけようとするが、腕を振り払われただけで、先ほどの戦闘で受けた怪我の痛みを思い出すことになった。
「ミンウェイが危険に晒されているんだぞ。放っておけるか!」
「あいつの役割はもう終わりだ。あとは撤退するだけだから、大丈夫だ」
 大華王国一の凶賊(ダリジィン)の屋敷を蹂躙せんと、乗り込んできた警察隊員たちは、異様ともいえる高揚感に包まれていた。
 勢いづいた集団は、時として個々人の総和ではなく、積の力を発揮する。その出鼻をくじくこと。それがミンウェイの役目だった。
 彼女の登場で、風向きが変わった。
 けれど、シュアンの放った一発の銃声が、強引に流れを戻そうとしていた。
 ルイフォンもリュイセンも、言葉には出さなかったが、心の内では歯噛みしていた。
「屋敷に戻りましょう」
 鈴を振るような音色でありながら、凛とした力強い響き――唐突に、メイシアが口を開いた。
「駄目だ!」
 反射に近い形でルイフォンが叫ぶ。
 その隣にいたリュイセンは、目を見開いた。まさか貴族(シャトーア)の娘が、望んで危険の只中に突っ込んで行こうとするなどと、想像だにしなかったのだ。ルイフォンに遅れること数瞬ののち、冷静さを取り戻して反対の意を示す。
「そうだ。お前が行って、なんの役に立つ? 事態をややこしくするだけだ」
 良い印象を持っていない相手だが、荒事にまるで縁のなさそうな華奢なか弱い娘を抗争の渦中に放り込むのは、リュイセンの本意ではなかった。それに彼女が屋敷に存在することは、イーレオの立場を悪くする。リスクばかりでメリットは何ひとつない。
「これは、私が蒔いた種です」
 メイシアは、埃にまみれつつも美しさを損なわない黒髪を横に振った。
「私が、なんとかしてみせます」
 儚げな小鳥のさえずりは、か細く、その瞳には不安の色が見え隠れしていたが、毅然と前を向いていた。そして、ルイフォンが再び反論を口にするより先に、彼女は回線の向こうにいるイーレオに問いかけていた。
「イーレオ様、あなたが認めた私の『価値』を試してくださいませんか?」
 メイシアが鷹刀一族の総帥に持ちかけた『取り引き』――彼女の家族を助ける代わりに、彼女はイーレオに忠誠を誓ったのだ。自分にはそれだけの価値があると主張して。
『メイシア……』
 イーレオが呟いた。そこには確かに迷いが含まれていた。だが、『お嬢ちゃん』ではなく『メイシア』だった。
『いいだろう。帰って来い』
 低く魅惑的な、包み込むような声。こんな事態だというのに、メイシアの企みに胸を躍らせているような、いたずらな笑みを含んだ響き。
 メイシアの鼻の奥が、つんと痛んだ。
 ――帰って来い。
 イーレオにとっては、何気ないひとことだったに違いない。けれどメイシアには、鷹刀一族が彼女の『居場所』であると認めてもらえたように感じられた。
 思わず、こぼれそうになる涙をぐっと堪え、彼女は笑顔で「はい」と答えた。
「ルイフォン」
 メイシアが、ルイフォンに呼びかける。
 しかし、彼女が次の句を告げる前に、彼は彼女の頭を引き寄せた。自分の胸に彼女の顔を押し付け、薄っすらと浮かんでいた彼女の涙が落ちる前に、強引に拭い取る。
「また、お前は無茶なことを考えているんだろう?」
 わざとらしい溜め息をつきながら、ルイフォンは彼女の長い髪をそっと梳いた。
「心配ばかりかけて、すみません。……あの、今から一緒に屋敷まで来て欲しいんです」
「今更、何を言っている? 当然、俺も行くに決まっているだろ?」
「あ、はい。それも、そうですよね」
 ルイフォンはメイシアの鼓動の速さを感じ、肩を抱き寄せた。
作品名:第四章 動乱の居城より 作家名:NaN