「歴女先生教えて~パート2」 第三十一話
二学期が始まり、美穂の世界史の授業が始まった。一学期終了までの復習として、生徒たちにインドと中国の宗教について補足してゆきます。
「紀元前五世紀前後の時代にインドではゴータマ・シッダールタ(ブッダ)と、マハーヴィーラという人が生まれて、仏教とジャイナ教を始めるの。農家では鉄器と牛を使って近代的農業が始まっていた時よ。その頃はアーリア人が持ち込んだバラモン教が中心だった。バラモン教では何かあると牛を屠って神様に捧げる。ギリシャの習慣と同じね。なので農家から偉い司教階級のバラモンが牛を勝手に徴発して、神が望んでいると言っては殺して食べていたの。
農地を持っている人たちは許せないと思っていても、反論出来なかったから我慢していた。ここに現れた仏教とジャイナ教は生き物を殺すべからずという思想を打ち出したので、農家の人たちは飛びついた。特にジャイナ教は不殺生を徹底したので、信者のほとんどは商業に携わることになり、現在でもインドには500万人以上の信者が居るとされているわ」
「映画などで生け贄とかのシーンを観ますが、神に捧げるという儀式に隠れて偉い人たちは牛を食べていたという事なんですね?」
「牛を食べてはいけないという事をみんなが思っていたわけではないんだけど、自分たちのエゴのために宗教観を持ち出して、農家に必要な牛を略奪することはけしからん、という事ね。仏教は釈迦が死んだあと弟子たちが集まって、彼らの記憶の中からブッダの説教や言動を編纂した。しかし、100年ほど経ってから行われた仏教の教えを見直す仏典結集(ぶってんけつじゅう)では、解釈が対立して、大衆部(だいしゅぶ)と上座部とに分かれたの(根本分裂と呼びます)一言で言うと、大衆部は新しい教えで、上座部は伝統的な教えということ」
「日本に伝わっている仏教は大衆部なのですか?」
「いい質問ね。上座部の教えは釈迦が解いた真理を追究することだった。それに反して、大衆部の目指すところは、釈迦が解かなかった新しい心理を追求することだったと言えるの。一般的に大乗仏教の由縁とも言われているけど、これには反論もあるわ。上座部の信者たちは、求める真理の違いから揉め事を懸念して釈迦の教えだけに集中したので、正しいブッダの教えという事になる。西遊記でおなじみの三蔵法師(正しくは唐の時代の玄奘三蔵)がインドから持って帰ったいくつかの仏典から、生きている間に翻訳したのは大般若経(般若心経)だった。
インドの経典はサンスクリット語(サンスクリット文字)が使われていた。この文字は梵語(ぼんご)と呼ばれ、今でもお墓の卒塔婆(そとうば)に書かれているのよ」
「紀元前五世紀前後の時代にインドではゴータマ・シッダールタ(ブッダ)と、マハーヴィーラという人が生まれて、仏教とジャイナ教を始めるの。農家では鉄器と牛を使って近代的農業が始まっていた時よ。その頃はアーリア人が持ち込んだバラモン教が中心だった。バラモン教では何かあると牛を屠って神様に捧げる。ギリシャの習慣と同じね。なので農家から偉い司教階級のバラモンが牛を勝手に徴発して、神が望んでいると言っては殺して食べていたの。
農地を持っている人たちは許せないと思っていても、反論出来なかったから我慢していた。ここに現れた仏教とジャイナ教は生き物を殺すべからずという思想を打ち出したので、農家の人たちは飛びついた。特にジャイナ教は不殺生を徹底したので、信者のほとんどは商業に携わることになり、現在でもインドには500万人以上の信者が居るとされているわ」
「映画などで生け贄とかのシーンを観ますが、神に捧げるという儀式に隠れて偉い人たちは牛を食べていたという事なんですね?」
「牛を食べてはいけないという事をみんなが思っていたわけではないんだけど、自分たちのエゴのために宗教観を持ち出して、農家に必要な牛を略奪することはけしからん、という事ね。仏教は釈迦が死んだあと弟子たちが集まって、彼らの記憶の中からブッダの説教や言動を編纂した。しかし、100年ほど経ってから行われた仏教の教えを見直す仏典結集(ぶってんけつじゅう)では、解釈が対立して、大衆部(だいしゅぶ)と上座部とに分かれたの(根本分裂と呼びます)一言で言うと、大衆部は新しい教えで、上座部は伝統的な教えということ」
「日本に伝わっている仏教は大衆部なのですか?」
「いい質問ね。上座部の教えは釈迦が解いた真理を追究することだった。それに反して、大衆部の目指すところは、釈迦が解かなかった新しい心理を追求することだったと言えるの。一般的に大乗仏教の由縁とも言われているけど、これには反論もあるわ。上座部の信者たちは、求める真理の違いから揉め事を懸念して釈迦の教えだけに集中したので、正しいブッダの教えという事になる。西遊記でおなじみの三蔵法師(正しくは唐の時代の玄奘三蔵)がインドから持って帰ったいくつかの仏典から、生きている間に翻訳したのは大般若経(般若心経)だった。
インドの経典はサンスクリット語(サンスクリット文字)が使われていた。この文字は梵語(ぼんご)と呼ばれ、今でもお墓の卒塔婆(そとうば)に書かれているのよ」
作品名:「歴女先生教えて~パート2」 第三十一話 作家名:てっしゅう