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ある―aru―

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大切な人が逝った。
わたしの大好きなお姉ちゃんが 今朝突然逝った。
悲しみにくれる父と母にわたしは何と声をかければいいのだろうか。
「大丈夫。わたしがお姉ちゃんの分まで生きるから…」
そんな言葉なんて嘘っぱち。
お姉ちゃんの人生の時間は最期までお姉ちゃんだけのもの。
誰かにとってのものではなく、お姉ちゃんにとっては短くも長くもない決められた時間だったのだ。そうとしか思わずにはいられない。わたしだって悲しみに潰れそうなほど感じている。

以前誰かが言っていた。
親戚の優しいおばちゃんが 棺の前で言っていた。
仲のいい旦那さんとの思い出をぽつりと語りながら寂しそうだった。
「どうせ、体も心も記憶すら無になってあの世にいくのよね…」
そうなのかなぁ。 
すべてを忘れさせられて真っ新(まっさら)にならないといい処へいけないと信じているのだ。逝く人も送る人もお互いに悲しみを断ち切って自身の人生をまっとうしなくては、と笑っていた。

あれ? 
『無』ってなに?
相対的な存在の『有』があって、それに対する『無』ということよね。

じゃあ。
『有』ってなに?
あ、お姉ちゃんが逝って『無』になったとしたら お姉ちゃんの『有』はいつ?

わたしは、そんなことばかりが頭に蔓延り始めた。これは自分なりの答えを結論づけなければ落ち着けない。いつからか、そういう性格になっていた。

お姉ちゃんが、生まれたときがその時なのだろう。
いや、お姉ちゃんは 突然生まれたわけではない。ここが『有』ではないんだ。
じゃあ、お母さんが妊娠した時なのだろう。
確かにそれっぽい。俗に「まだ形にはなってない」とはいっても もうそこにはある。
もちろん父とふたりで成し得たこととはいえ、やっぱりここが『有』ではない気がする。

こんなときなのに わたしは、学生時代の保健体育の授業での話を思い出した。

当時、それほど真面目に授業を聞いていたとも思えないが、女子生徒ばかりで行うその授業は、興味のままに質問なども飛び出し面白いものではあったので 記憶の倉庫に押し込められていたのだろう。
教師は言っていた。
「女性は、女性として生を受けた時には すでに一生に使う卵子を保有しているのよ」
「「えぇー」」とクラスのほぼ全員が言ったように思う。
教師は、教科書に書かれていることを越えた話を始めた。
「卵子を育てる袋『卵胞』には、もととなる原始卵胞というものがあります。女性は、生まれる時にはこの原始卵胞を卵巣に約200万個蓄えています」

今、わたしは 詳細には覚えていないけれど 思春期までに四分の三は自然消滅で減少してしまうとか。生殖年齢の頃には 原始卵胞の十分の一程度に減少。
その後も一月経で数百から千個。一日にしたら約三十個が減ってゆく。など、ぽつりぽつりと思い出すことができた。
そのひとつが お姉ちゃんになり、わたしになったのだ。
そう考えると、お姉ちゃんの『有』は、お姉ちゃんの年齢に母の年齢を加えた過去が始まりということになるのだ。

それが誰であれ、永眠が悲しい出来事であることは誰しもが感じることでしょう。
でも、誰しもに『有』があることに浪漫を感じるわたしは 不謹慎なことだろうか?
人生を取り戻せない死だけれど、その始まりは人生小説のプロローグそのものだと思う。

女性の誕生は、未来永劫に繋がる可能性を秘めている。

わたしは、大好きなお姉ちゃんと始まりは同じなのだと思うと 悲しみよりも嬉しさが込みあげてきた。

ただ 黒い服の中にいるわたしは、悲しみに頬を濡らすひとりに見えているに違いない。



     ―了―
作品名:ある―aru― 作家名:甜茶