夢の残骸
「クルマで? 飛行機じゃなくて?」
「コミューンの仲間達とトレーラーハウスで……あたしは運転できなかったけど、運転出来る人は交代で夜も昼も走ったわ、あたしはロスとシスコしか知らなかったから何もかもが新鮮だった……この旅がずっと続けばいいのにとすら思ったわ、で、とうとうウッドストックに着いた時は愛と平和の祭典が始まるんだとワクワクした、何もかもが自由、そう感じてたわ」
「素敵ねぇ」
「でもね……そんな理想の祭典じゃなかった」
「あ……そう言えばさっき『限界を感じた』って……」
「そう、行き過ぎた自由が生み出したのはカオスでしかなかった……元々2万人規模の有料コンサートだったはずがチケットを20万枚も売っちゃって、蓋を開けてみればその倍の40万人が詰め掛けて柵を壊して無料フェスティバルになっちゃったのよ、三日間続くフェスティバルなのにテントもなくてトイレすら全然足りなかった、のんびりした農場にいきなり40万人が集まって三日の野宿よ、どうやって食事をするの? 食べられるものは何だって盗まれたわ、それぞれ勝手に川に入って泳いだり身体を洗ったり、酷いのになると用を足したり……アルコール、ドラッグ、セックス……行き過ぎた自由は欲望そのもののようだった……自由には責任が伴うものだけど、その責任は自分自身に対してだけ負えば良いと皆が思っていたのね、他者や環境に対する配慮は欠けていたわ、大きな暴行事件とかがなかったのが唯一の救いだった」
「そんなに酷かったの?」
「主催者にこれだけの大きなフェスティバルを仕切る能力がなかったのね、ううん、それ以前に会場とステージとPAさえ用意すれば後はどうにでもなると思っていたんじゃないかしら」
「結構ずさんだったのね」
「そう、その上屋根も何もないわけだから照れば暑いし、何度もスコールに見舞われてそのつどずぶ濡れで冷え切っちゃうし……いくら若くても体調を崩す人も多かったわ」
「結局、ウッドストックって失敗だったの?」
「終わった後の惨状を見ればそうね、色々な見方はあるけれど、あたしには夢の残骸に見えた……コミューンで暮した一年はあたしにとって夢のような生活だったの、ラブ&ピースは世界を変えられると信じたし、どんなものにも縛られない自由は何にもまして大切なものだと思ってた……その幻想が破れた気がして……あたしはもうシスコに帰ろうとは思わなかった、だからニューヨークに残ったの、こっちには厳しい現実がある、それを正視しなくちゃダメ、そう思えて」
「それでこっちで舞台女優を続けたのね?」
「そのつもりで残ったんだけど、最初は何もする気が起きなかったわ、食べられないから仕方なくウエイトレスをやってたわ、時給4ドルのために」
その時、厨房の中からマスターが顔を出した。
「4ドル20セントだったよ、金が無い時は夕食も食わせてやっただろう?」
「そうね、感謝してる」
洋子も笑いながら答える。
「え? どういうこと?」
「あたしが働いてたの、この店なのよ」
「ああ……それでこの店で待ち合わせを?」
「そう言うこと……ここのマスターが食わせ物でね」
「まあ、褒め言葉として受け取っておくよ、ヨーコ、料理を運んでくれないか?」
「いいわよ、いつものことだものね」
「はい、アメリカ人のソウルフード、ハンバーガーよ」
「やっぱりボリューム満点なのね」
「そうね、あたしの体の半分はこれで出来てるわよ、食事も旅の楽しみの一つだけど、こう言う庶民のジャンクフードも味わって欲しかったの」
「ジャンクフードで悪かったな」
マスターが厨房から顔を出した。
「褒め言葉として受け取って欲しいわ、だってマスターはアメリカ人のソウルを良く知ってるもん」
「ははは、それしか知らないだけだよ」
「面白いマスターね」
「うん、でもあれで結構鋭いことも言うんだから……あたしはマスターの言葉に救われて今でも女優を続けているのよ」
「え? どういうこと?」
「あの頃、何を信じたら良いのかわからなくなってたのね、毎日がつまらなくっていつも仏頂面してたの、そしたらマスターがね」
「うん」
「何百年もかけて形作られた価値観を一回のフェスティバルでぶち壊そうなんて出来るわけがないだろう? って」
「シビアね」
「でも、こう続けたのよ、それでも40万人の若者が同じ方向を向いてラブ&ピースを叫んだんだ、それはそれで凄いことじゃないか、なんだって最初から上手く行くもんじゃない、何度も失敗して、そのたびに経験を積んで、だんだん本物になって行くんだ、いつか認められるようになるんだ、その第一歩、最初の失敗だって思えばいいじゃないかって……」
「なるほどねぇ……」
「マスターの言うとおりだと思った、それで、それが正しかったのか幻想に過ぎなかったのかは、これからにかかってる、まだ審判を下すには早いとも思った……あたしは今でもヒッピー・ムーブメントが間違いじゃなかったって信じてる、未熟な所は沢山あったけど間違いではなかったって……それを少しでも多くの人に伝えられたら良いと思って舞台を続けているの」
「それって、素敵よ……洋子に会えて良かったな……」
「あたしも久しぶりに宏美に会えて、日本の、故郷の香りを嗅いで、日本語も久しぶりにしゃべったわ、とても楽しかった」
二人が席を立つと、マスターも厨房から顔を出した。
「マスターご馳走様、アメリカ人のソウル、美味しく頂きました、それと洋子を元気付けてくれて有難うございました」
「なんの、ウエイトレスが仏頂面してると料理まで不味そうに見えるからな、あんなのは口からでまかせさ」
マスターが片目をつぶって見せ、洋子は大げさに肩をそびやかせて見せた……。
(続く)