夢の残骸
1.夢の残骸
「洋子、こっち、こっちよ!」
「あ……宏美ね?」
「そうよ、50年ぶりくらいになるのかしら」
「そうね、中学卒業以来だものね、でも、良くひと目であたしとわかったわね」
「メジャーな観光スポットを離れれば日本人は少ないしね、それに日本でも洋子の写真は見てたし」
「そうだったんだ……でも宏美も高校時代の面影あるわよ」
ニューヨークの街角の、地元住人しか入らないような小さな大衆レストラン。
洋子はこの街で舞台女優として小さな劇場に出続けている。
宏美は旅行でこの街を訪れたのだが、演劇ファンの彼女は幼馴染の洋子が舞台女優をしていることを知っていて、劇場を通して連絡を取ったのだ。
「日本には一度も帰ってないの?」
「二度帰った……父が亡くなった時と母が亡くなった時」
「でも連絡は取ってたんだ」
「うん……弟を通じてね、別に悪いことをしたつもりはなかったけど、両親に心配かけたことは確かだったから……それに、父は厳格な人だったから怖かったのよ、アメリカに戻れなくなりそうで……母だけになってからは直接手紙のやり取りもしたけどね」
「あたしも洋子が一人でアメリカに行っちゃったって聞いてびっくりしたんだけど、どうしてだったの?」
「ヒッピーになるために」
「ヒッピー?」
「そう、変でしょ?」
「確かにあの頃流行ってたよね」
「さすがに流行りだからってわけでもなかったけど」
「詳しく聞かせてくれる?」
「うん……高校の時にアメリカってベトナム戦争に本格参戦したでしょ?」
「そうだったかも……あたしはノホホンとした女子高だったから、あんまり詳しく知らないけど、洋子は都立のトップ高だったもんね、学生運動とかもあったの?」
「うん、あった……ゲバ棒振って闘争とまではやらなかったけど、ちゃんと政治や世界情勢とか論じてたよ、まあ、高校生なりにだけどね、あたしもデモとかまでは参加しなかったけど、興味は持ってた……でもさ、大学入った頃から学生運動が激しくなってね、大学なんて封鎖されっぱなしで……なんだかそれって違うと思ったのよ、目指すものは共産化革命で、あたしは共産主義そのものは否定しないけど、それを実現するためには暴力も辞さないって姿勢は違うんじゃないかって……それが行き過ぎちゃって既存の秩序を暴力でぶち壊すことそのものが目的になっちゃってるような気がしたわ」
「あたしは大学行かなかったし、何を言わんとしているのかもあんまり良くわからなくて、『何だか怖いなぁ』くらいにしか思ってなかったけど」
「それが普通だし、それで正しいのかも……でも、あたしは興味持ってただけに落胆も大きくてさ、で、ヒッピー文化に興味が移ったんだ」
「ヒッピーってサイケな格好してブラブラしてるだけかと思ってたけど……」
「うん、まあ、そう見えたかもね……実際の所は先ずキリスト教に基づいた旧くからの社会秩序の否定ね、それと資本主義的な価値観の否定、自由で争いのない愛に満ちた理想世界の追求……そんなところね」
「そうなんだ、難しいこと考えてたのね」
「一言で言っちゃえばフリーダム、それとラブ&ピースよ」
「あ、それはあの頃よく聞いた」
「まあ、後々その甘さにも気づいたけど、あの時は現実にうんざりしてたから、あたしにも理想的な生き方だと思えたの」
「でも、それで一人でアメリカまで行っちゃうって凄いと思った」
「うふふ……若気の至りってやつね、でもね、漠然とだけどアテもあったのよ、ヒッピー達はキリスト教的社会秩序を否定してたから東洋思想に憧れてたの、あたしはモロに日本人って顔立ちだし、その頃からストレートロングの黒髪だったから、とりあえず受け入れてくれるだろうと思った、だからサンフランシスコのヒッピーコミューンまで辿りつけば何とかなるだろうと思ったのよ」
「何とかなったんだ」
「うん、思った以上に、英語が片言だったのもむしろ神秘的だったみたいよ、それに洋子って名前も知られてたし」
「ああ……オノ・ヨーコね?」
「そう、コミューンを訪ねて行って『日本から来たヨーコです』って自己紹介したらもう大歓迎されたわ、彼ら、読めもしないのに『禅』だとか『神道』だとかの日本語の本を後生大事にしてたのね、で、それを訳してくれないか?って」
「で? 訳したの?」
「うん、コンサイスのポケット版と首っ引きで……はっきり言ってあたしも禅だの神道だのには詳しくなかったけど、キリスト教的な常識と違う所を探して、それを強調するような感じで訳したら、みんな真剣に聴いてくれるの、それですぐに溶け込めたし、あたし自身も勉強になったな」
「ふうん……ところでさ、コミューンって共同生活みたいなものでしょ?」
「そうよ」
「男の人も女の人も一緒なんだよね……日本じゃフリー・セックスとか話題になってたけど……」
「本来の意味は違うのよ、男が外で働いて女が家を守るとか、男らしく女らしくみたいな考え方を嫌ったのね」
「あ、男女平等ってこと?」
「そう言うことね、でも、やっぱり宏美の思ってたようなことも有ったよ、特定の相手とだけしかセックスしちゃいけないと考えるのはおかしい、みたいな……キリスト教的秩序の否定のひとつってわけ、でもはっきり恋人同士だから他の人とはセックスしないって宣言してもそれはそれでいいの、縛ることは嫌うけどそうしたいからそうするってことなら主義に反しないから」
「ふうん……洋子は?」
「恋人が居たわけじゃないし、背伸びもしたい年頃でしょ? それで周りが自由気ままに振舞ってるんだからやっぱり影響されたわ……でもさすがに手当たり次第じゃなかったな、ボーイフレンドは三人居たけど」
「ふうん……日本でだと三叉かけてるとか言われそうね」
「こっちでも基本はそうよ、ヒッピーが特別なだけ、それに神道は性におおらかだとか言っちゃってた手前もあったしね、でも三人ともあたし一人を相手にしてるわけじゃなかったし、その辺にも旧い価値観に囚われない自由を感じてた」
「収入とか家事とかはどうしてたの?」
「その頃から舞台に出始めたの、まだ演技もなにも知らなかったけど、ヒッピーやそのシンパ向けの舞台なら東洋人の女ってだけで役を貰えたから」
「それを今でも続けてるわけね?」
「そういうこと、家事もね、男とか女とか関係なくそれぞれが得意なことを適当に分担してた、あたしの場合、少しは和食が作れたから主にお料理ね、もっとも一番ウケたのはカレーライスだったけど」
「なるほど、上手く機能してたんだ」
「そう、そのコミューンはね」
「そうでないところもあった?」
「それは後で知ったのよ、あたしにとってはあのコミューンが全てだったから……で、一年後にあの大きなお祭りがあったのよ」
「あのお祭りって?」
「ウッドストック・アート&ミュージック・フェスティバル」
「あ、それなら知ってる」
「一つの象徴みたいに言われてるからね……でもね、あたしはあの時ヒッピー・ムーブメントの限界を感じたの」
「え? そうなの?」
「サンフランシスコからニューヨーク郊外のウッドストックまでは長い道のりだったわ」
「アメリカ横断ですものね」
「ええ、途中グランドキャニオンに寄ったりマイアミで泳いだりもしながら10日間の旅、楽しかったわ」