11月 ムカデの夢
優等生みたいな涼しくて可愛い顔をして、後ろの席からそんな呪いにも似たような恐ろしい事を考えてたなんて驚きだったし、なんだか意外過ぎて少し怖くなった。
自分だって色んな事に苛々したり不条理に反感持ったりしているくせに、澪が何をどんな風に考えようと感じようとそれは澪の勝手なんだから、別に怖い事でもなんでもないのに、じゃあ、どうして私は今そんな言葉を「このポッキーおいしいね」と同じような軽い口調で、笑いながら口にした澪を違和感を持って見ているのだろう・・・
返す言葉を探し倦ねて、私は一時停止しているみたいにしばらく固まってしまった。
そんな事には関係なく、校庭からは硬式テニスを打ち合う軽快な気取った音が飛んでくる。合間を縫って、鳥の叫び声のようなホイッスルの鳴る音が不規則に響く。
「・・・私も、そのキモイ群衆に含まれてるの?」思わず口をついて出た掠れた言葉に我ながら戸惑った。
別に私は澪にどうのこうのと特別な感情で思ってもらえるくらいの友達でもないし、それを特には望んではいない。だのに、どうしてそんな言葉が出たのか不思議だった。
焦燥感だろうか? それとももっと別のなにか。
「ううん。吹雪ちゃんは違うよ」
無意識にほっと胸を撫で下ろす私に気付いたのか、澪は鞄からプチシリーズのチョコチップクッキーを出してきて、豪快に包装を破ってから私の机に広げた。
「あたしこれ好きなの。食べよーよ」にっと笑った澪の顔には、不安なんて何処にも見えなかった。
6
その日も私は祥二の家にいた。
結局、自分の家にいたくないから唯一受け入れてくれるここに来てしまう。例え、祥二とあまり上手くいっていなかろうと、暴力紛いの事をされようとやっぱり来てしまうのだ。
当の祥二も特になにも言わずに迎えてくれる。最近はもう手首を観察する事はしなくなっていた。
太陽はまだ活気良く光を投げかけている暇な夕方、私達は別段面白くもないテレビ番組を見ながら、昼ご飯だか夕ご飯だかよくわからない感じの買って来たコンビニ弁当を黙々と食べていた。
遠くで生き残りの蝉が必死に叫んでいる声が聞こえた。
弟君の部屋から出てきたアメリカンショートヘアの雄猫が、前足と後ろ足で器用に扉を開けて入ってきた。
隣の部屋でお爺ちゃんが痰がらみの咳を激しくし出した。祥二はすぐに弁当をテレビの上に置くと解放に出て行った。
猫は祥二が置いていった弁当に狙いをつけて一気に飛び上がろうとしている。この家の猫は食べ物でさえあれば、なんでも食べるのだ。
携帯電話の着信音がけたたましくなった。
私の携帯電話だった。マナーにしておくのを忘れてしまったのだ。
猫はその音に驚いて一目散に隣の部屋に退避して行った。私はそれを見送って携帯電話を開いた。澪からだった。
『吹雪ちゃん? ねぇ、どうしようー!』
叫ぶように話す澪の声は恐怖と不安で溢れかえっていて、それが聞こえる携帯からも何か不吉な空気が漏れてくるみたいだった。
まったく違う世界からの電話が偶然繋がったようなそんな感覚。けれど間違いなく澪の声、一体どうしたのか。
『吹雪ちゃん、助けて! 血が、血が止まらないのぉー!』
「澪、あんたまさか」
『お母さんに怒られて、むしゃくしゃして・・・それで何となく切ってみたのぉー! でも、でも、血が止まらなくて、どんどん出てくるのぉー! あたしどうなっちゃうのぉー!』
いつもの冷静沈着な澪が半乱狂になって泣き叫んでいる。血が止まらないのは動脈を切ったのか。私もどうしたらいいのかわからず、頭がパニックになってしまった。
「ちょ、落ち着いてよ!お母さんは?」
『お母さんは買い物に行ってて、吹雪ちゃん、助けて!ねぇ、どうすればいいのぉー! あたし死んじゃうの?』
「しっかりして! 手首を押さえて止血して!」
『さっきからずっとやってるよ!どんどん溢れてきて止まらないのぉ!怖いよぉー!助けてー!』
「澪!しっかりして! 今行くから・・・」
そうは言ったものの祥二の家から澪の家までは山を2つ超えないと辿り着かないし、車でもかなりかかるのだ。
私はなにか方法はないかと必死に考えたが、耳元で止まる事なく流れ出て行く澪の血と命と意識を食い止める方法が思いつかなかった。
ー私は完全に無力だった。
救急車に電話するべきだったのだろうが、一旦電話を切ってしまってもう澪が電話に出ないのではないかと怖くて、ただひたすら澪に呼びかけるしか出来なかった。
「澪!しっかりして!落ち着いて!」
自分の体から勢いよく血が吹き出てくるのに、落ち着いていられるわけがないのはわかっていても、それしか言葉が見つからなかった。
澪は確実に、死のうと思ってリストカットしたのではないだろう。
私と話した時の流れの自分の存在意識の見せつけやアピールのつもりだったのだと思う。死にたかったわけじゃない。それなのに、丁度動脈に当ってしまった。
呼びかけていないと不安で仕方なかったのは私だったのかもしれない。澪は激しく呼吸をしながら、ずっと私の名前を呼び続けていた。時間にしたら10数秒だったと思う。隣の部屋から祥二が戻って来たのと同じくらいのタイミングだった。受話器の向こうの遥か後方から澪の母親らしき声がして、次いで叫び声と一緒に澪に駆け寄ってきたらしい音がしたかと思うと、突然電話はぷっつりと切断された。
部屋に入ってきた祥二は気違いみたいに泣きながら携帯を握りしめているおかしな私を見て、何かあったらしい事をすぐに察した。
携帯からはしばらく通話終了音が寂しくなっていたが、すぐにそれも止まった。澪はどうなったの・・・
「なにがあった?」
ガクガク震えながら顔の全ての穴から水を垂らしている私の顔を覗き込んで、怪訝そうに眉に皺を寄せた祥二が低い声で聞いてきた。
「澪、澪が・・・」
祥二は私の腕を掴んで外に飛び出してトラックのエンジンをかけた。「その澪ちゃんの家、何処だよ?」
怒るように聞いてきた祥二の迫力に一瞬怖じ気づきながらも、私はなんとかぱくぱくした金魚みたいな口でようやく言葉を絞り出した。
「私の、家の近く・・・」
勢いよくトラックは走って行く。もし運悪く警察に見つかっていたらとても言い逃れ出来なかったと思う。約30分程で、私達は打ち捨てられたように人気のない澪の家の前に息を切らせて立っていた。
呼び鈴を鳴らす。が、いくら鳴らしても反応はなかった。
澪の母親が救急車で病院に連れて行ったのかもしれない。私は諦めて、呼び鈴のスイッチから指を放して、ぼんやりと足下の小石が長く影を伸ばしているのをじっと見ていた。
祥二はその横に前のめり気味に立って、暮れて行く赤い夕日に照らし出されたおぼつかない影のように奇態に佇む澪の二階建ての家をじっと睨んで見上げていた。
「・・・ごめん」唯一、私の頭の中に浮かんできた言葉だった。
「俺より、その澪ちゃんに言えよ」
本体より影のように前のめりの姿勢を全く崩さずに、突き放すように祥二は吐き捨てた。
「吹雪に助けて欲しくて、かけてきたんだろ」
「・・・うん」