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松橋オリザ
松橋オリザ
novelistID. 31570
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立ち読み版 二人のラブミルク

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立ち読み版    二人のラブミルク


          1


「あれ、豊田さんからだ」
 駆け出しの電子書籍作家、日乃本一二三《ひのもとひふみ》が、パソコンにむかって小説を書いていた時のことだ。一通のメールが入っていることに気がついた。


 前略ごめん下さい。これまで、日乃本先生を担当させていただいておりましたが、このほど「ピュアマガジン出版社」を退職することになりました。これまでの格別のご厚情、心から御礼申し上げます。
 後任の編集者は、「鳥居」でございます。
 つきましては来月四日、思い出を語り合いながらご挨拶などできればと、ご連絡差し上げた次第です。
 場所はいつもどおり、弊社向かいの純喫茶「バンビ」で、時間は午後三時でございます。お呼びだてして申し訳ありませんが、鳥居共々、先生のおいでをお待ち申しております。
 なお、現在執筆中の「二人のラブミルク」の原稿をお持ち頂ければ、幸いです。



         ピュアマガジン出版社 豊田美子《とよだよしこ》 拝



(退職って……豊田さん、これからどうするつもりなんだろう)
 ピュアマガジン出版社の豊田美子は、日乃本の指導・担当をする女性編集者だ。そして「バンビ」は、豊田と何回か打ち合わせで利用した喫茶店だ。
 二年前に、女性向け官能小説ライターとしてピュアマガジン出版社からデビューした日乃本。本名は火野本一三《ひのもとかずみ》で、さほど変わり映えしてない。
 そのせいというわけでもないだろうが、今日まで小説を三作品を出版するも、どれも売れ行きはぱっとしない。そんな自分には、もったいないほどの律儀な対応だ。
 「二人のラブミルク」というのは、新米OLがイケメンリーマンと出会い、性に目覚めていくという官能小説だが、ラブミルクとは、ずばり性器から出る愛液。エロい響きと隠喩な表現が、自分でも気に入っている。
「ありがたいことだ。ご丁寧に……」
 日乃本は早速、返信のメールを送った。



 ――退職前のお忙しい中でのご連絡、恐縮です。うかがわせて頂きますので、よろしくお願いします――



 他の出版社がどうなのかは知らないが、自分はラッキーだったと思う。
 体調が悪い日は「小説のことは忘れて、休養を取って下さいね」と言ってくれた豊田。日乃本の書きたいように書かせてくれたし、指導の方も当を得ていて、とてもやりやすかった。
(新しい編集さん、鳥居って言うんだ……女性向きの小説だし、今度も女性なんだろうな。手厳しいダメ出しを受けそうで、ちょっと怖いな……)
 日乃本はぽつんと頷いた。もう決まったことを考えても仕方が無い……と思いながらも、ほおづえを突いたまま考え込んでいた。


          2


「豊田さん、まだ来てないみたいだな」
 コーヒーの香りが鼻をくすぐる。豊田との約束の日、日乃本はバンビの店内を見回していた。
 待たせては申し訳ないと、早めに来てみたものの、豊田ら二人の姿はまだ見えない。
 昼下がりの店内には、数人の客。日乃本は店の入り口が見えるボックス席に陣取り、印刷したばかりの「二人のラブミルク」原稿をカバンから取り出す。
(新しい編集さん、これを読んで、どんなコメントをくれるだろうか……)
 日乃本は、完成したばかりの作品をパラパラとめくりながら考えていた。



――大きな声では、言えないんだけどさあ――


「ん?」
 その時、背後のボックス席から聞こえてきた女性同士の会話につい、耳を傾ける。マイペースな自分にしては、他人の噂話が気になるなんて珍しい。
「インモラル書房で、女性作家がセクハラされた事件があったこと、知ってた?」
(インモラル書房……?)
 ドキリとした日乃本は、原稿の上で手を止める。同時に、ふっと店内のざわつきまでが遠のいたような気がした。
 彼女らの口から出た、聞き覚えのある社名。インモラル書房は、ピュアマガジン出版社から歩いて五分ほどの所にある、おもに娯楽誌を扱う出版社で、日乃本が契約しているピュアマガジン出版社から、枝分かれする形で設立された。
 こちらに背中を向けてしゃべっているから、二人の表情はわからない。ただ、声はとても深刻そうだった。
 ピュアマガジン出版社は、娯楽誌をインモラル書房に任せる形で分離した。のちに、ピュアマガジン出版社も娯楽誌を出すようになったが、今もピュアマガジン出版はインモラル書房の大株主で、二社は総合出版社として出版界で競合していた。
「え? セクハラなんて、初めて聞いたわ! 私も知ってる人?」
 二人は、日乃本が聞き耳を立てているのも知らずに、話し続ける。
「それが、わかんないのよ。あなたなら知ってるかなあって、思ったんだけど……。残念……」
 どうやら二人は、ここピュアマガジン出版社の社員のようだ。
「それって、大事件! 社内不祥事もいいとこじゃないの! 誰から聞いたの?」
「掃除のおばさんが、話してるのを聞いちゃったの。私が、後ろに居るのに気付いた時の顔ったら……こっちが、逃げ出したいくらいだったわ」
 その不届きな男性社員は、作品の打ち合わせと称して、女性作家を高級料亭に呼び出し、酒を飲ませて性的暴行を働いたということだ。
 結局、示談が成立したことで、これ以上触れてはならない事件として、今では暗黙の社内箝口令が敷かれているという。
「それが、えげつないセクハラなの。先ず、その編集者が作者に濡れ場を読ませてね……」
「ああ、エッチなシーンね。それで?」
「『なんか、上っ面をなぞってるだけみたいな文章だね。今読み上げてる君が、感じてないなら、読者が感じるわけないんだけどね』って、もっともらしく突っ込むわけ」
「……」
 日乃本は、ぎゅっとカバンを抱きしめたまま、二人の声に耳を傾ける。
「何それ。どういう意味?……」
「そう思うわよね? そしたら、その変態編集者なんて言ったと思う? 『論より証拠だ。僕が君の胸を触って、ちゃんと乳首が硬くなってているかどうか、確認させて欲しい』って、彼女を押し倒したらしいわ」
「ひぇーっ……」
 話を聞いた女子社員は、しばらく、後の言葉が出ないようだった。
(立ち聞きしただけにしては、ずいぶん詳しいところまで知ってる……)
 考えて見れば、今のこの状態も立ち聞きと変わらないし、他人のことは言えない。日乃本は複雑な気持ちで、引き続き二人の対話に耳をそばだてた。
「警察の取り調べには、『より、リアリティーのある作品を書いてもらうためだったが、やり過ぎだった』って、弁解してたらしいけど……言い訳が姑息よね」
 こう言って、その女子社員は憤りをあらわにする。その表情は見えなくても、彼女が眉にしわを寄せているのが、容易に想像された。
「肝心の犯人が誰かわからないってのは、すっきりしないわねえ。すぐ身近に、そんな変態が居るかと思うと、おちおちインモラル書房にも行けないじゃないの」
 もう一方の女子社員は、怒りを通り越してあきれているようだった。
 それが本当だとすると、その編集者は、他の部署にでも回されたのだろうか。それとも、社員の冷たい視線の中、今もインモラル書房で作家を指導しているのだろうか。