即興でなんか書いてみろ@自分への挑戦状1
「ジン」
少女の声が聞こえる度に、胸の内に満たされるものがある。
「ジン」
それこそが自分の名前だという確かな実感。
嗚呼、生きている。
僕は今、確かに生きている。
「××××!××××!起きなさい!学校遅れちゃうわよ!」
不快感溢れる声で目を覚ます。
僕の生を否定する象徴たるものが階下から僕に向かって声を発する。
「今日で学校最後なんだから!しっかりしなさ……」
後半の声が途中で途切れたのは、僕がイヤホンをつけて、最大音量で音楽を流したからだ。
あの声は死神だ。そうに違いない。
僕は勝手にそう思って、それが妙にしっくりくるようで、安心して眠る事が出来た。
なら僕は、何者なんだろう?
「 お ま え は だ れ だ 」
いつか夢で聞いた声が脳内で再生される。
僕は誰なんだろう。何者なんだろう。
わからない。わからない、から、
「じゃあ探してみようか?」
呟いて、慄く臆病な男の姿が見えた。
――探すってどうやって?
――なにをするつもりなの?
――わからない、わからないよ
僕を殺す死の妖精たちの囁きが降りかかる。
――そんなの無理だよ
―-わかりっこないよ
――貴方から生まれたモノに価値なんて無いのに
――また貴方は既成の物から目を背けようとしている
――既成の大切なモノから目を背けようとしている
――人生は既に筋道が決められている
――幸せになる筋道が決められている
――その筋道から外れてはだめ
――貴方の意志がそこに介在しなくても
――幸せになりたいなら幸せの筋道を外れてはだめ
全ての声を無視して、僕は清々しい気持ちになった。
「安全な選択肢を」
「確実な人生経路を」
皆がそう言って、必死になって競争する。
でも本当に光っているのは先頭の一部だけで、
それに連なるレミングスには、やっぱりなんの価値もないんだ。
荒れ狂う波に挑む航海士のように、あるいは未踏の地を踏破しようとする冒険家のように、
僕は不思議とワクワクしていた。
僕は大学に通っている。私立の大学だった。
「いいっすねジンさん!」
新しい遊びを覚えて、学校に新しくクラブを作った。
「着いていきますジンさん!」
本当は苦手だったパソコンを使って動画を作った。
「ジンさんは考える事がすっげぇなぁ」
昔は書かなかったテーマで小説を書くようになった。
「ジンさん」
「ジンさん」
……。
袖に腕を通す。
ボタンを一つ着ける。
ボタンを二つ着ける。
ボタンを三つ着ける。
桜が咲いた。散った先で葉が出た。
周囲緑が生い茂り、軽やかな鳥の声がところかしこから聞こえてくる。
蛙が田んぼで大合唱する。
紅葉の赤に見惚れながら、
すっかり冷たくなった川の水を救い上げる。
真っ白な雪。
すっかり寂しくなった枝葉の代わりにこんもりと積もった雪や氷柱。
季節を謳歌するほどに増えるボタン。
「もう、着けきれないよ」
笑いながら涙が零れた。
別に、悲しいわけじゃない。
嬉しい、のかな。わからない。
ただ切ないんだ。
そう、切ないんだ。
昔の自分にはまるで理解が出来なかったこの感情が、
きっと息苦しくてすぐに脱ぎ捨ててしまったであろうこの感情が、
今こうして確かに自分の中から発生している。
自分の中の感情を肯定出来ている。
「大切なモノは見つかったの?」
アイが僕に問いかける。
「わからないよ」
僕は自嘲気味に笑った。もうクセになっているこの醜い笑い方を、それでもアイは許容してくれる。
僕は布団から身を起こした。
すっかり衰えた身体をなんとかかんとか起こして、
まだ眠たいのだけれど、まぁそれも良いだろうと思って、布団から出る。
適当に布団を押しやって、リビングへと降りていく。
明かりをつける。
一番温かい日なたを選んで座る。
目を閉じる。
背筋を伸ばす。
ああ、これが大切なモノなのか?
ボタンを外そうとして、胸元に手を伸ばす。
だが、もうボタンがどれなのかわからなかった。
外せば楽になるのか、それとも苦しくなるのか。
息を整えるように、深く息を吸う。
全身に確かな一体感がある。
”あらゆるものは天によって完全に決められていて、それゆえに完璧に自由だ”
心臓から肺へ。
肺からまた心臓へ。
心臓から全身へ。
肩から肘を伝わって指先へ。
腰から膝を通ってつま先へ。
美しい物は体内でエネルギーに変えられ、
醜い物は体内から排除されていく。
「ねぇジンさん……」
鼻水を垂れた男の子が部屋へ入ってくる。
「聞いてよジンさん。説明書通りに作ってるのにこの部品がうまく引っ付かないんだ」
「……」
「ほら、ジンさん確か工具持ってたでしょ?それでちょいちょいって加工するんだ」
「……」
「だからジンさん貸してよ。出来たらジンさんにも貸してあげるか、……ジンさん?」
男の子は胡坐のまま微動だにしない老人の顔を見る。
「寝てるの?ジンさん」
「……」
「もう、しょうがないなぁ」
男の子は呆れた様子でさっさと部屋を出ていく。
老人は頭髪から髭に至るまで真っ白だった。
穏やかな表情をしていた。
庭先でメジロが鳴いている。
野良猫が老人の前を横切っていく。
これ以上は望まない。
これだけあれば十分だ。
これこそが”大切な……”
「ええ、近所の人は彼の事、”ジン”って呼んでますよ」
「あの気さくなじっちゃんのことかい!?よく散歩してるのを見かけるわなぁ。
この時間だと、丁度あの公園辺りを回ってるんじゃねぇかな」
「ジンさんはね!すごいんだよ!おじいちゃんなのにモデルガン作るのうまいんだ!
うちのじっじはプラモデルって言っただけで難しい顔するのに!」
「え?ジンって本名じゃないんですか?いやぁ、知らなかったなぁ。
じゃあ本当の名前はなんていうんです?」
「身よりは?年齢は?あのじいさん、本当はどこぞの物の怪だったりしてな!わっはっは」
「ジンさんはジンさんですよ。それ以外に表現しうる言葉がありません。
それ以上でもそれ以下でもない。知る人にそうと知られているだけの人」
少女は、老女に連れられてきた。
人差し指をしゃぶりながら、片方の手でぎゅっと老女の袖を握っている。
「ジンさんはいらっしゃいますか?」
インターホンを鳴らし、おっとりとした口調で老女が言う。
「はーい!」
元気の良い少年が飛び出してきて、言う。
「おばあさん、誰?」
「○○○○って言えばわかるよ。ジンさんに伝えておくれ」
「ん、わかった!とりあえず入って入って!ジンさん奥から引っ張り出してくるから!
お茶いる?あ、荷物持とうか?」
「あらあらしっかりしてるのねぇ、御年はいくつなの?」
「7だよ!今年で8!」
「あら、アイちゃん、あんたとひとつしか違わないよ!かっこいいねぇ」
少女はじっと少年を見つめたままコクンと頷く。
少年はえへへと頭を掻いて、すぐに奥に引っ込む。
「じゃあ、お邪魔しますねぇ」
おっとりと老女が言うと、それに合わせるようにゆったりと少女も靴を脱ぐ。
ふと、少女が振り返る。
いつかの超然とした口調で言う。
「あなたはだあれ?」
老女がふと気が付いて辺りを見回す。
「アイちゃんどうしたね?猫ちゃんでもいたの?」
作品名:即興でなんか書いてみろ@自分への挑戦状1 作家名:ふまさきはじめ