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松浪文志郎
松浪文志郎
novelistID. 62568
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ふうらい。~助平権兵衛放浪記 第四章

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《第四章 いんねん》




「里嶋……さん……」

思わぬところで……と、いいかけて権兵衛は口をつぐんだ。
――虎造には例の凄腕の用心棒がついていますので……。
太兵衛の言葉が脳裏に甦る。凄腕の用心棒とはもしや……!

「おぬしがここにいるということは……なるほど、そういうことか……」

里嶋も思い当たる節があるようだ。おでん屋のオヤジの顔をちらり、横目でみやると、

「河岸を変えようか」

まだ一杯も呑んでいないのに、南鐐(二朱銀)を一枚、仕切り台の板の上に放り投げて腰をあげた。


人けのない松並木の土手道で二人は向かい合っていた。
東の空に満月が浮かび、眼下を流れる川面にきらきらと映えている。
場所を移しはしたものの、さてなにから切り出せばいいのか。権兵衛と里嶋は互いに言葉を探りあぐね、沈黙を重ねるばかりだ。

「松戸の道場だが……」

積もった重い空気を振り払うように里嶋が口を開いた。

「周作は花津(かつ)さんと一緒に道場をでていった」

「花津どのと……!?」

思わず動揺が顔や態度にでてしまっている。権兵衛はあわてて里嶋から顔を背け、川面に視線を移した。

「おぬし、いまでも花津さんのことを……」

花津はお世話になった浅利又七郎のひとり娘だ。権兵衛は花津を巡って周作と剣と恋の火花を散らしたことがある。

「おれはてっきり周作が浅利道場を継ぐものと……」

意外であった。確か正式に婚姻して、婿養子の座に納まったのではなかったか?

「一流を起こしたのだ。北辰一刀流の看板を掲げ、名も千葉周作とあらため、神田に道場を構えている」

そうだったのか……。独立の噂は道場にいるときから囁かれていた。
周作ほどの男が婿養子の座にいつまでもちんまり納まっているわけがない。
権兵衛は何度挑んでも周作から一本を奪うことができなかった。権兵衛も道場では里嶋と肩を並べるほどの業前の持ち主だというのに……。

「里嶋さんはなにゆえこんなところに……」

「流れてきたか……と、聞きたいのか?」

フッと鼻で笑って里嶋が自嘲気味にいう。

「おぬしと同じさ。おれも千葉周作に敗れた」

「野試合でもして負けたのですか?」

「そんなバカなことをするものか。おれも自流派を神田に開いたのだが、折あしく周作の道場が品川から隣に移ってきた。門弟をごっそりもぎとられ、たちまち立ち行かなくなったという次第だ」

「…………」

権兵衛は剣才で、里嶋は道場経営で負けたということか。

「積もり積もった借財がどうにもならず、おれは江戸を売った。いまではこの街道と宿場を仕切るヤクザの用心棒だ」

やはり、里嶋は黒鉄の虎造に買われた用心棒だったのだ。里嶋も権兵衛が辰澤村に味方するものと見当をつけているに違いない。だから、人けのないこんな場所まで誘い出した。

「里嶋さん、おれは……」

「シッ!」

里嶋が振り向きざま小柄を投げた。
カッと音がして数間後方の松の木に突き刺さる。
見覚えのある猿のような顔の男が袖をひるがえして駆け去ってゆく。

「あいつは……!」

権兵衛は思い出した。卑怯にも親分の背中に隠れ、唯一斬り損ねた男――マシラの喜一であった。