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富士樹海奇譚 見えざる敵 上乃巻

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一、事の始まり


https://www.youtube.com/watch?v=3-2-Ip5SsDA&list=PLfLWQgC0war3ltToJzHB0zGFyICAZdz8o&index=1
Predator 2 Soundtrack - Main Title (1990)

時は戦国_。
駿河の国の今川氏と相模の国の北条氏は隣国の武田勢の拡大を警戒し、伊豆の国を取り込んで連合軍を組織し身延山麓に兵を集結しつつあった。伊豆国は天城山の麓で精製に成功したという新型爆薬の噂が虚実が定まらぬものの、身延山の陣地に運び込まれれば一大事と焦った武田義信はその不穏な動きを察知し裏で操ると思しき伊豆天城城主 忠生総右衛門(ただおそうえもん)の元に実の子である晴延を密偵として放ったが、父の敵として武田への復讐を誓う今川家家臣岡部正綱の息子昌秋により市川の関で捕らえられてしまった。独眼竜の岡部昌秋(おかべまさあき)は武田の者と知れば容赦はない。まして武田の世継ぎ候補と知れれば殺されてしまうのは必至。今川の軍勢に紛れ込ませた手の者たちからは、霊峰富士の樹海の広がる鳴沢の森奥深くに建てられた岡部の隠し砦に幽閉された、と知らせが入った。

大規模な軍勢をかけての救出作戦は、敵を刺激することになるのでは、と家臣に停められた武田義信は、風魔ら乱波の招集を持ちかけるが、次第に立場を強めていた風魔に任せることが武田家内での微妙な力関係に余計な波乱を持ち込む危険性を感じた家臣たちは首を横に振った。すると取る手立てというものが限りに限られ、時間だけが無常に過ぎ途方に暮れた。そのとき武田義信は、ふいに以前笹子谷の集落に住む者たちのことを思い出した。相州乱波の流れをくむ忍びの集団。幾度目かの川中島での勲功により親方様より姓と褒美を授けられた長谷五郎左衛門忠信(はせごろうざえもんただのぶ)。集落の者だけで動く極秘の小隊として数々の諜報や工作活動に通じたあのもの達ならば、晴延を救出することが出来るのではないか。武田義信は早速、彼らの集落である笹子谷に伝令に送った。

晴延救出の任を担う安田元康(やすだもとやす)は長谷五郎左衛門を同行補佐するために甲府から本栖湖を超えて西湖の畔、鳴沢の入口にある魔界天神社に向かって足早に歩を進めていた。暮れ六つにはその境内で笹子衆と落ち合う手筈のため昼飯も取らずに水だけで腹の虫を黙らせていた。甲斐源氏の流れを汲む安田元康は、長谷五郎左衛門を知っていた。
川中島での安田の立てた焼き討ち計画をあっさりと反故にし、上杉軍勢左翼に火薬を用いた爆弾を投げ込み混乱させた一件があった。成功したからいいようなもの、臨機応変とは聞こえがいいが長谷五郎左衛門という男、手柄を独り占めにする阿漕な輩に相違ないと内心思っているので今回の件もどうにも気分が乗らないでいた。親方様のお気に入りと言っても相州乱波の亜流の山賊紛いな連中だ。下手を打てばこちらの寝首を掻くかもしれん外道どもだ。そのことが足を重くしたとは思えないが、鳴沢の村はずれに辿りついたのは日暮れ前だった。

鳴沢のひと気のない魔界天神社の長い石段を息を切らして登り終えると、気分を重くするようなたたずまいの社が見えた。裏手に回ると何処からともなく甲高い声が「遅いぞ!」と響いた。辺りを見回したが人の気配を感じない。乱波め!
気が揺れた次の瞬間、安田元康は数人の男たちに囲まれていた。
「安田元康殿だな。」
低い声がした。背後の男の声だ。振り返ると、そこに見覚えのある男の顔があった。
「うぬは長谷五郎左衛門・・。」 
余りの距離の近さに、圧倒された。
こやつ、薬草で食べたか、草汁でも飲みおったか。青臭さが鼻につくわい。
百姓仕事の途中で出てきたか、襤褸の作業着を着た筋骨隆々の色黒の男がニッと笑う。
そのひとなつっこい顔が食わせ物だ。安田元康はそう思いながらも笑みを浮かべた。
「書状は受け取り申した。既にものみを出して。明日の朝、土地の猟師小屋で落ち合う手筈。」ものみとは斥候を意味する。随分と手回しがいいじゃないか。
「猟師連中の話では小屋から半日のところに隠し砦があるらしいが、ひどく深い森の中らしい。」
長谷五郎左衛門の他には、安田元康は見回すと
坊主頭の大男がひとり、小柄な男がひとり、髭面の大男がひとり・・・。
どの男にしても胡散臭い空気を漂わせている。
「おぅ、仲間を紹介しておこう。腹を割って話せねば、な。この坊主頭はワシの右腕の吟次、村いちばんの猛者でな。もしもワシの身に何かあってもこの男が皆を助けてくれるはずだ。そちらの背の低いのは欣三、足の速さじゃ村いちばんの男だ。でそちらの髭は源吾、見てくれ通り村いちばんの・・・」
「怪力か」
男たちは無言のまま野良作業の作業着を脱ぎ始めた。
柿渋色に染められた忍装束を投げ渡され安田元康も着替えるように促される。
「ここから先は霊峰富士の御神域、火山灰で足場も悪い。動きやすい装束に着替えられよ。」
安田も腰の物を下ろした。
「おらのも頼むよ、源吾・・」
いちばん最初に聞いた甲高い声がした。
口の重そうな源吾が小声で、おぅと云うと着替えを持って背負子の方に向かう。
それとなしに目で追うと、愕然とした。
年端の行かない子供。しかも瞼が開かないようだ。
そんなものをこの重要な救出作戦に連れて行こうというのか!
「どうしてこんな子供を、しかもメクラとなれば足手纏いになるが必定。」
安田元康は声を荒げたが長谷五郎左衛門は頬を揺らした。
「錦七はこれでたいした力の持ち主でな。我らに聴こえないものを聴くことが出来る。そしてなんと説明すればいいか、生まれ持っての利口な男だ。それにいつもは源吾が背負っている。足手纏いになることはない。心配することはない。」
訝しがる安田元康の雰囲気を察知したか甲高い声が耳に飛びこむ。
「熊一、このひとはぼくらが嫌いみたいだ。声に愛着といったものをまるで感じない。」
腹の中を見透かされた気がして安田元康は苛立った。
これが利口な餓鬼の言いぐさか!
「これ錦七、口を慎め!」
しかしこの小僧、熊一と云ったが・・。もやもやした顔の安田元康に答えた。
「せっかく親方様にいただいた名前だが、わしには長谷五郎左衛門忠信は長すぎる。村の者の間では昔の名前で通ってますわ。」
すかさず錦七が得意げに言葉をはさんだ。
「熊を素手で倒したから熊一だ。」
熊一は半分照れながら錦七に、口を慎むように言って聞かせる。
此処まで引いてきたのか大八車の農具入れの蓋を開けると、様々な忍びの道具が現れ
各々に分けている。棒状の手裏剣、忍刀、鉈、鳥の子に忍び熊手などなど。
「ところで敵軍を叩く手立てはあるのか?この人数で。」
すると男たちは不思議そうな顔で安田の顔を覗き込む。
「敵軍を叩くのではなく、御世継様を助け出すという話だったが?」
安田は微妙な意識の違いを感じた。だがここで事を荒立てるのは得策ではない。
「すまん、それがしは軍師であるがゆえ、口癖なのだ、“敵軍を叩く“というのが。」
と嘯いてみたが不穏な空気が広がった。
熊一は声を上げた。
「とにかく、先を急ごう。欣三、先導を頼む。安田殿、遅れずにな。」