小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

富士樹海奇譚 見えざる敵 上乃巻

INDEX|1ページ/10ページ|

次のページ
 

予兆



https://www.youtube.com/watch?v=PnwbjALRCJ0
Ibert: Escales - 2. Tunis-Nefta
イベール:交響組曲「寄港地」 ~チュニス‐ネフタ

山は濃い緑に覆われていた。生命がその生ける悦びを謳歌する季節、それが夏だ。
冬には山おろしの寒風が吹き下ろすこの笹子の谷にも、春が訪れ、そして夏が来る。
無味無色の季節が過ぎ去り、甘い花の香りが過ぎ去った、生命の躍動が匂い立つ。

源吾は村いちばんの力持ちだ。朝から晩まで畑で仕事をしている。
大きな腹を抱えて、喰うか、飲むか。でなければ寝る事しか興味を示さない。
爺さんと婆さんからは「おまえは他のものと違って、おつむの血の巡りが良くないから、悪いことをしてはいけない。外れくじを引かされるのが関の山だ。」といわれる。
それは間違ってはいないと思う。村の他のものより、話すのが苦手だ。
聴くのも面倒くさいから、ほぼほぼ全部は聴いていないし、憶えてもいない。
だから悪いことはしない。田んぼと畑だけやっていれば文句なかろう。
きゅうりとなすを捥いだところで誰も文句は言うまい。
爺さんと婆さんからは「おまえは他のものと違って、おつむの血の巡りが良くないから、ひとの迷惑になることをしてはいけない。寄ってたかって悪者にされるのが関の山だ。」といわれる。それは間違ってはいないと思う。口が重いだけですら、見てくれが大きくて悪者扱いされる。だから自分のことはせっせと自分でする。他人のことは知ったことじゃない。いやところが自分のことだけせっせと済ますと、それだけでも悪者扱いするヤツがいるから厄介だ。
爺さんと婆さんからは「おまえは他のものと違って、力が強いから、錦七を守ってやらなければならない。それはお天道さまにお前がこの世に遣わされた使命だ。」といわれる。
錦七は体も小さいし、おまけに生まれつき目も見えない。だがあいつは頭の回転は早いし、云うことに間違ったことがない。目は見えないが、他の人の聞こえないものを聴き、音を聞き分ける。犬より正確に臭いを嗅ぎ分ける。だからあいつに明日の天気を聴けば、まず間違いがない。夏の薫風の臭いを嗅げばその年の取れ高の予想が立つし、増やすためにしなければならないことを教えてくれる。夜の狩りにしても、村いちばんの足軽の欣三兄や健四郎兄の五感も鋭いが、錦七は離れたところからでも獲物の居場所を言い当てる。だからあいつは村の宝だ。それよりなにより俺の大事な弟だ。
だから、源吾は錦七を守る。
 丘を越えてゆく夏の夜風に当たりながら、夏の星を見ていると、爺様が起きてきてこんな話をする。
「世の中には不思議なこともあるものでな。その昔、吉原宿に竹細工職人がおってな。ある日、竹林を歩いていくと金色に輝く竹を見つけてな。その竹を割ってみるとその中には可愛らしいおみながおってじゃ」
爺さんはいつまでも俺たちが子供のままだと思うておるらしい。源吾は頷きながら、欠伸をした。まあ爺さんからすればいつまでも、俺たちは孫のままで、それ以上にはならんわけで。しかし、その話はほんの赤子の時分から幾度も幾度も繰り返しされていて、話をしている爺さんにしても、途中からなぜか浦島太郎の話になったり、茶釜に化けた狸の話になったりで、いい加減なものだ。だが爺さんも戦乱で父母を失った俺らを喰わせてくれた恩義もあるし、まさに老骨に鞭打って、だ。まぁいいじゃないか、どぶろく吞んだ後の戯言だ。聞き流すに限る。
「で、天の帝が、姫を迎えに牛車や船を従えて、お月さまから降りてこられてな。」
そろそろ終わりに近づいてきた、と源吾は欠伸をする。傍らで爺さんの話を熱心に聞いていた錦七は夜空を仰ぐ。
「お月さまというのは人が住んでいるのかい。私は見たことがないので。」
「夜空にぷかりと浮かんでおるが、毎晩大きさが違うのだから、あすこには住めまい。ときには無くなってしまう夜もあるからなぁ。」爺さんは嘯く。
「だが牛車や船で行けるのだろ?」
「あれは天の帝だからなせる業、我々からはお月さまには行けんよ。そもそも我らは飛べないしな。」
「いったいどんなところなのだろうね、お月さまというのは。」
「どんなところだろうなぁ。」
「ところで、その話はどのくらい昔の話なのだい?」
「昔、むかしだ。」
「昔、むかし・・・って」
やれはじまった、錦七の問いかけは止まらない。
子供のように純粋に悪意がないから余計に困ったものだ。
源吾は伸びをしながら欠伸をする。
流石に、爺さんも堪えきれなくなったようだ。
「わしの生まれるずーっと前の話だ。だからいつかはわしにもわからん。」
そういうと、重い腰を上げた。
源吾は、叢の上でうつらうつらとしていると、夜空を見上げていた錦七が声を上げた。
ふと強い風が吹き抜けた。

「とてもおおきな船で滑るように、滑らかに_。
いまでも、来ているんだよ、ほら_。」

錦七が富士山の方を眺めている。
源吾が起き上がり錦七の見ている満月の光に浮かぶ富士山を眺める。
源吾には大きな船は見えなかったが。錦七が言うのだから何かが来たのだろう。
「もしも。もしもだよ。悪い奴らだったら。」
源吾が錦七の肩をやさしく叩く。

「源吾は錦七を守る。」