平凡の裏側
平凡という幸せ
四十九日の法要も無事にすませ、隼人と梨央は母の納骨のため、墓へ向かった。離婚しているため、浅井家ではなく、実家である生田家の墓に、収めることになる。
まだ、梨央が中学生だった頃、ふたりで墓参りに訪れたあの墓地へ、こうしてまたふたりは向かうことになった。
あれから十五年の月日が流れ、すっかり大人になった姿で、ふたりは、あの日のように墓の前に立った。納骨を済ませ、長い間、それぞれの心のうちを母に語りかけた。
「お兄ちゃんはお母さんに何て言ったの?」
「梨央のことは俺に任せて、そんなようなことかな」
「あら、私も同じよ、お兄ちゃんのことは心配しないでねって」
「それ、どういう意味だよ。俺は梨央が生まれた時から、お兄ちゃんとしてお前を守っていこうと決めてたんだぞ」
「生まれた時じゃなくて、私が来た時からでしょ?」
隼人は耳を疑った。
「お前、今なんて言った?」
「だから、私がこの家に来た時からでしょ?」
隼人は呆気にとられて、梨央をただ見つめた。
「まさか、お前……」
「ええ、知ってたわ、私はここに眠る妙子叔母さんの子どもなのよね」
そう言って、目の前の墓を見た。
「ここには、私のふたりのお母さんが眠っているんだわ」
「いったいいつから……」
まだ信じられない様子で隼人が聞いた。
「小学校に上がった頃かな、お父さんとお母さんが話しているのを聞いてしまったの」
「それでお前……その……大丈夫だったか?」
「まだ幼すぎて、すぐには意味が分からなかったのだと思う。それにお父さんもお母さんも、そしてお兄ちゃんもやさしいし、何も変わらないから、特に気にならなかったのね、きっと。そして、大きくなるにつれてだんだんとわかっていったのかな」
「そうだったんだ……まさか気づいているとは思いもしなかったよ。お前が二十歳になった時、知らせるかどうか、父さんたちと話し合ったんだよ。母さんと俺が猛反対して、結局知らせないことになったんだ」
「そんなことがあったの……でもそうしてくれてよかった。お兄ちゃんとずっとそのままでいたかったから」
(俺だってそうさ……)
「私ね、小さい頃はお兄ちゃんが王子さまで私はお姫さまで、な~んていつも夢見ていたのよ。でも、いつかはお兄ちゃんにお嫁さんが来るとわかってきたら、すご~く悲しくて……」
(俺には嫁さんなんか来ないよ)
「中学の頃、同級生の男の子に付き合ってほしいと言われたの。その時、思ったの、その子がお兄ちゃんだったらって」
(そんなやつ相手にするなよ)
「ねえ、お兄ちゃん、私たちがまだ子どもの頃、お父さんがいてお母さんがいて、どこにでもあるごく平凡な家庭だったわよね」
「そうだな」
「私は幸せだったわ。そして、この幸せがずっと続くと思ってた」
「お前は純真無垢だったからな」
「いろいろあって、もうあの頃には戻れないけど、お兄ちゃんがいてくれればやっぱり私は幸せ」
そう言って、梨央は頬を染めた。
「お前、あの頃と全然変わらないな」
「ねえ、お兄ちゃん、ずっと今のままでいましょうね」
「それはできないよ」
「え! どうして?」
梨央は今にも泣きだしそうな顔で聞いた。
「俺たちは結婚するからさ」
梨央はキョトンとして隼人を見つめた。
隼人はこんなことを口にするなんて、ついさっきまで思ってもいなかった。しかし、梨央がすべてを知っていたとわかった。そして、幼い頃から自分を兄として慕ってくれていただけではなかった……それがわかった今、長い間の想いが一気に溢れ出て、もう、自分の気持ちを抑えることなどできなかった。
隼人は優しく梨央を見つめて言った。
「梨央、お前が俺のお嫁さんになるんだ。お姫さまと王子さまはいつまでも幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし、だろ?」
梨央の目から大粒の涙が溢れだした。
「梨央、ふたりのお母さんに報告しよう」
隼人と梨央は墓前でそろって手を合わせた。
帰りの電車の中、梨央は隼人の肩にもたれかかった。
「あの時もこうだったな。お前、疲れて俺の肩で寝てしまって……」
「寝てなんていなかったわ」
「え? お前、狸だったのか?」
「だって、お兄ちゃんに包まれていたかったんだもの」
あの時は切ない想いで眺めた窓の外の風景だったが、今はこれからの幸せを予感させる景色に見えた。
(平凡に暮らそう、おまえさえそばにいてくれれば俺は何もいらない。梨央、ずっとふたりでいような)
夕日に輝く稲穂の風景を、車窓から見つめるふたり。その電車の向かう先にはきっと、ふたりの望む穏やかな日々が待っていることだろう。
完