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平凡の裏側

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無垢な少女

    
 気持ちよく晴れあがった早朝の住宅街。
 小鳥のさえずりを打ち消すように、あちこちの家で目覚まし時計が鳴り響いている。郵便受けに新聞を取りに行く人、ジョギングで汗を流す人、足早に駅へ向かう人。いつもの風景、どこにでも見られる日常の一コマ。
 ここ浅井家でも同様の朝を迎えていた。
 中学二年の浅井梨央は、バタバタと階段を下りてくると制服姿で食卓についた。食卓には、煮物や焼き魚が並んでいたが、いつものように梨央は食パンにジャムをぬって食べ始めた。
 前髪に幼さが残るおかっぱ頭だが、くりっとした大きな目のかわいい少女だった。梨央は、両親と七歳離れた大学生の兄、隼人との四人家族。その隼人は梨央にとって自慢の兄であった。細身で長身、その切れ長の目に見つめられると、女子なら誰もが頬を赤らめるような端正な顔立ちの兄は、幼い頃から、梨央にとっては王子さまだった。そして、隼人もまた、歳の離れた妹を「姫」と呼んでとても可愛がっていた。
 父親の照之は五十二歳、温厚な人柄で、大手企業の子会社のサラリーマンだ。母の信子は二歳下で、朗らかでいつも笑顔を家中に振りまいていた。
「梨央! 忘れ物はない?」
 母の声を背に、
「ないよー、お兄ちゃん、早く早くー」
 隼人と飛び出すように家を出ていく梨央を見送るのが、信子の日課だった。
 
 こんな家族の中ですくすくと育った梨央は、そんな暮らしが当たり前だと思ってきた。
 ところが最近、世の中にはいろいろな人がいることがわかり始めた。身近なところでは、友だちの中に、両親が離婚していたり、そうでなくても不仲だったりという話を聞いて、それらが以前とは違い、より具体的に心に響くようになった。
(私はなんて恵まれているのだろう……)
 そんな思いが日増しに強まり、家庭的に恵まれない友だちには、それとなく心を配るようになった。また、どこかで災害が起こり、募金活動が伝えられると、進んでおこづかいを募金した。
 そんな汚れを知らない、純粋な少女である梨央を間近に見ていて、兄の隼人は、世間がそんな素晴らしいものでないことに、いつか気付くであろう妹が、とても心配に思えた。
 
 その夏は、隼人の提案で、家族で海へ行った。来年は梨央の高校受験が控えている。だから、今年は思い切り羽を伸ばさせてやろうという思いからだ。そして、その通り、家族それぞれの胸に深く残る旅行になった。
 湘南の海辺で、父と母が、パラソルの下でくつろぐ視線の先に、兄と妹が砂浜を駆け回り、波と戯れる。コマーシャルにでも出てくるような幸せな親子の姿がそこにはあった。梨央は大好きな兄と、思う存分、楽しい時を過ごした。
(いつまでもこのままでいたい、お父さんとお母さんがいて、そして私だけのお兄ちゃんがいて……)
 しかし、日が暮れ始め、宿へ帰る時間がやってきた。時は止まることがない、常に動いている。どんな楽しい時間にも終わりが来る。
 翌日は観光しながら、家へと向かった。珍しいものを見て、面白いアトラクションに参加して、おいしいものを食べて……
 どの瞬間も、梨央にとっては楽しいものばかりだった。渋滞にはまった車の中でさえ、愛おしい時間に思えた。家が近づくと、また行こうね、そればかりを兄にねだった。
 大変な境遇の人たちがいるのはわかっている。自分だけがこんなに幸せでいいのかとは思うけれど、それでもやっぱり、梨央は叫びたいくらい幸せだった。
(お父さんもお母さんもいつまでも元気で優しくて、お兄ちゃんは私だけを可愛がってくれる……)
 今の梨央にはそうとしか思えなかった。ずっとずっと何も変わらない、それこそが梨央の究極の願いだった。

作品名:平凡の裏側 作家名:鏡湖