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再会箱 Case d

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「もしもし? うん……。晴彦ごめんね、やっぱアタシ、今会社休むわけにいかないの。結婚……できない。わかった、続きはちゃんと会ってから……じゃあ、切るね。おやすみ」


――ふうっ……。

農学部を出て今の自然食品メーカーに入社して五年目、アタシにもようやくチャンスが巡ってきたの。ただの営業で終わりたくない。
嫌味なオッサン上司も、男の話しか興味ない他の女子社員達も全員見返してやる。その為に必死になって今まで踏ん張ってきたんだよ?
なのに、なのに何でこのタイミングで子どもなんてできちゃうわけ? 晴彦の事は好きだし、プロポーズだってもちろん嬉しかった。
でも、結婚は今じゃない。今産休なんて取ったら、結婚なんてしちゃったら絶対チームに復帰できない。
今は、もっともっと新しいサンプルを集めて、ちょっとでも取引先にアピールしとかないと……。



                   *



アタシは休日の今日でさえ、ネットニュースで拾った珍しい野菜の栽培法を調査する為に初めての地方に足を踏み入れていた。

「っていうか、何でこう山奥にいつもいつもあるわけ、新顔野菜の生産地って……。そろそろ見えてくれないと、まーたふくらはぎに筋肉ついちゃうし。あれ? 何か空気が変わった……ぽい?」

おぼつかない電波のスマホを頼りに山道を歩いて四〇分、ようやく発見した建物は一軒の……お寺だった。

「まぁーいいわ、喉が渇いて死んじゃう前に、ちょっとだけ休ませてもらおう。すみませーん! どなたかいらっしゃいますかぁー?」

不意に、竹林が風に鳴いた。なびく髪を左手で押さえた時、奥の方から優しそうな僧侶がゆっくりとした足取りでアタシの前に現れた。

「これはこれは、こんな山寺に若い娘さんお一人でとは珍しい」

立派な白い口髭を蓄えた立ち姿は、お坊さんというよりちょっとだけ仙人ぽくて笑えた。

「いえいえいえいえ、もう二十七なんで、言うほど若いわけじゃないんです。確かに同年代の子に比べたら肌なんかプリプリで、化粧水何使ってんのって聞かれたりするし、あ!それもこれも弊社開発の……」

「コホンッ」

あ、咳ばらいって可愛い。

「ちゃんとこの箱にお賽銭も入れるんで、暫くここで休ませて頂けませんか?」

「ホッホ、ご自由になさい。それにお金など入れなくてよろしいのです。それは賽銭箱ではございません」

「え?違うんですか? それじゃぁーこの箱っていったい……」

「再会箱です」

「あ、あー再会箱ね、やっぱ再会箱かぁー。なーんだそっかそっか」

「おや、これはこれは。この箱をご存知でしたか」

「す、すみません。つい営業癖で知ったかしちゃって、生まれて初めて聞きました。それで、この箱はどういった箱なんですか?」

「はい。人というのは出会いと別れを繰り返していくもの、別れてしまったが最後、もう二度と会うことのない方がほとんどでしょう。その中には自分にとって本意ではなく別れてしまった方もいるはず。そんな方にたった一度だけ再会させてくれる箱。それがその再会箱なのです」

他にも、『再会できるのは生涯で唯一度きり。箱の力で僅かに捻じ曲げた運命もじきに元に戻り、再会を果たした者とは決して共に人生を歩むことはできない』って事だった。

「なるほどね、わかったわ。それで隣に紙とペンが置いてあるわけね。これに会いたい人の名前を書いて入れろってことだ」

「はい。ご名答でございます」

「でも残念でした。今のアタシに会いたい人なんていないの。絶対にいないから」

「ホッホ、何やら急に言葉使いが乱暴になりましたな。この箱や私を疑っているというよりも……。今頭に浮かんでいる会いたい人が原因ですかな?」

図星をつかれてアタシは余計に腹が立った。

「だから、会いたい人なんていないって言ってるでしょ!」

「あなたはこうしてこの寺に導かれなさった。それは、この再会箱があなたを呼んだと言い換えてもいいでしょうな。その人に、聞きたいことがあるのでしょう?」

「あーもうわかった。書くわよ、書けばいいんでしょ。でも、名前もないのに何て書きゃいいの?」

「お心のままに……」

「はぁ~」

〈別に信じたわけじゃないし〉のため息をついてから、アタシは置かれていた筆ペンを取り、十五センチ程の白い紙に『あの子』とだけ書いて箱に入れた。
そう、アタシは信じたわけじゃない。今さらあの子に会えたからって何だっていうの。


あれはまだ十七歳の高校生の時だった。付き合ってた彼との間に赤ちゃんができたアタシは、怖くて怖くて逃げ出した。
一学年先輩だった彼は卒業したらそれっきり。泣いて終わりの……よくある話。


今日すべき仕事のことなど完全にどうでもよくなった。せっかくずっとずっと思い出さないようにしてたのに。絶対、あの不思議な仙人坊主のせいだよ。そそくさと逃げるように、アタシはそのお寺を後にした。
動揺を隠せないまま山道をトボトボと歩く後方で、お寺へ続く小道がいつの間にか消えたことなど、アタシは知る由もなかった。



                   *



麓の駅までようやく降りてきたアタシは、行きに目を付けていた駅前の公園に足を踏み入れた。
黄色い大きなジャングルジム。あそこに登って夕日を眺めたら、絶対綺麗だと思うんだ。

「よっと!」

昔から高い所が好きなアタシは、くよくよした時絶対に何処かへ登る。とにかく登るの、いいから登るの!

「思った通りだ……綺麗〜。あれ、れ……」

「危ない!!」

山道を昇り降りした疲れからか急な目眩に襲われたアタシを、何処からともなく現れた少年が助けてくれた。

「あ、ありがとう少年。助かったよ」

「お姉さん無茶するね。その状態で高いとこ上がっちゃ絶対ダメでしょ」

ふいに自分が妊娠してる事が頭をよぎった。

「だよね、あんまり夕日が綺麗だったもんだからさ。ところで少年」

「なに?」

「アタシのパンツは見えたかね?」

「ハハッ、バッカじゃねーの?変なこと聞かないでよ、見たくもないし」

「そりゃそうだよね。君、この辺の子? こんな時間まで遊んでたら、叱られちゃうよ?」

「……。そうだね、もう帰んなきゃ。――よっと!」

ジャングルジムから伸びやかにジャンプした少年の横顔が、アタシを捨てた陸上部のアイツと綺麗に重なった。
そりゃそうだ、親子なんだから。あの箱が『本物』だったなんて最初っからわかってた。
いくじのないアタシは、その横顔に見とれて後悔に押しつぶされるのが怖かっただけ。
本当に聞きたかった事は、まだ聞けてない。

「じゃあね、お姉さん。バイバイ」

「バイバイ、また……ね」

「ハハ……ちぇっ、知ってるくせに。またはないよ」

「じゃあ、じゃあこれで本当に最後の質問!」

「なあに?」

作品名:再会箱 Case d 作家名:daima