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国王の契約花嫁~最初で最後の恋~

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  序章〜事実は小説よりも奇なり〜

 今は昔、王国の末期に、それはそれは美しい中殿さま(チユンジヨンマーマ)がおられたそうな。
 中殿さまは今を時めく左議政(チャイジョン)の息女で、王妃となることは王さまの母君の大妃さま(テービマーマ)もお認めになっていたという。
 ここまで話を聞けば、誰もが中殿さまが何の苦もなく王妃の地位に昇られたと思うだろうが、そうはゆかなかった。
 中殿さまは女官から身分の低い側室となり、更に側室として上の方の位階を賜った後、漸く正妃となられた。
 なになに、どうして、左議政の令嬢、しかも予め王妃になることが定められていた令嬢がすんなりと中殿さまになれなかったのか?
 やはり、それには相応の理由があった。
 よく事実は小説より奇なりというが、まさに、そういう出来事が左議政の令嬢には起こったとしか言えまいて。
 その頃、例の有名な?春香伝?の続編ともいえる?続春香伝?が都で大流行したが、これから儂が話すのはその?続春香伝?よりも更に面白き話よ。
 この話を聞けば、つくづく人の縁も人生も数奇なもので、我々人間は天のご意思には逆らえぬということも判る。
 左議政のご息女はやはり、どのような試練を経ても王妃になるべくして生まれ、その宿命を背負っていたとしか言えぬ。
 はてさて、王さまのご寵愛を一身に集めたというその中殿さまは、どのようにして王妃におなりになったのか。
 知りたければ、まずは儂の話を聞いて下され。  




  ?本の虫?と呼ばれる少女

 華仙(ファソン)は先刻から食い入るように自分の手許を見つめていた。まるで壊れ物にでも触れるかのような慎重な手つきでそれにそっと触る。ひとしきり恍惚(うつと)りと眺め入り、切なげな溜息をそっと零す。
 その様はまるで妙齢の娘が恋しい男からの待ち焦がれた文を漸く受け取ったかのようでもある。そう、確かに華仙は美しかった。今年、やっと十六歳になったばかりの初々しい美貌はさながら咲き初(そ)めた水仙の花にでも例えられるだろう。
 都漢陽(ハニャン)に降り積もる雪のように白く透き通った膚、紅など引かなくても椿のように紅い唇は可憐で、何より人眼を惹くのは大きな生き生きと輝く瞳であった。それは当時、屋敷の奥深くで大切に育てられ、親の言うなりの従順な両班(ヤンバン)の令嬢には珍しいもの―覇気と呼べる類のものだ。
 だが、当の本人はその美貌の自覚はいささかもなく、今は後生大切に両腕に抱えている一冊の本にのみ意識は向けられている。
「ああ、本当に?忠孝明道?なのね」
 ファソンは感じ入ったように呟き、腕に抱えた本をギュッと抱きしめた。
「やっと手に入ったわ」
 愛おしげに分厚い書物に頬ずりしたまさにそのときだった。ドスンと背後から強い衝撃が押し寄せ、ファソンの華奢な身体は前方へとつんのめった。
「痛―」
 ファソンは勢いで飛ばされ、膝を突く形で床にへたり込んでしまった。ここは都は外れの下町の一角、町の人々からは??さんの本屋?と呼ばれている古本屋だ。ファソンはこの本屋の常連の一人でもある。
 ??さんの本屋?の主人?ガントクは常民(サンミン)ではあるけれど、あらゆる分野に対しての知識が広く深く、なまじ身分だけは高く偉そうにふんぞりかえっている中身のない官僚などよりは、よほど教養も学才もある人なのだ。
 年の頃は四十ほどで、ファソンの父とたいして変わらない。
 この古本屋は品揃えも充実していて、なかなか巷では手に入らない稀少本を手に入れることができる。何よりファソンは主人のガントクの気さくでいながらも知識人であるところが好きで、足繁く通っていた。
 顧客が多い割に、いつ来ても客の姿は殆ど見かけることもなく、ひっそりとしている。間違っても他の客と衝突するなんてことはないはずなのだが―。ファソンは痛む膝をさすりながら身を起こし、背後を振り返った。
「ごめんなさい、欲しかった本がやっと手に入ったものだから、つい我を忘れていたみたいで」
 言いかけ、彼女はたった今、ぶつかったばかりの相手をまじまじと見つめた。相手はあろうことか、二十歳ほどの若者であった。絹製の薄紫の上等なパジ、更には鐔広の帽子から垂れ下がった紫水晶(アメジスト)の玉を見れば、彼が相当に身分のある両班の子弟であることは一目瞭然だ。
 とはいえ、ファソンが愕いたのは彼が常民ではなかったからではない。ファソンの周囲にもそのような若い青年は当たり前にいるから、別段愕くようなことではない。
 彼女の視線は青年がひしと握りしめている一冊の本に釘付けになっていた。
「―春香伝」
 何と彼は女子どもの間で今、大流行しているという恋愛小説本を大切に抱えているのだ。普通、貴族の若い男が好んで読むものではない―というより、表向きに読むのは体裁が悪いとされているような通俗小説とされている。
 ファソンの視線にギクリとしたように青年は眼を見開き、慌てて言った。
「こ、これはだな」
 ファソンは黙って彼を見つめ続ける。
 若い男はファソンに見つめられ、白い頬を上気させた。彼の男ぶりもなかなかのものだ。逞しさなどは欠片ほどもない優男ではあるが、美男には違いない。
「妹に頼まれて買いにきた」
 男の右眉がひくついている。ファソンは、にっこりとしながらも、しれっと言ってやった。
「嘘でしょ」
「うっ」
 生来嘘がつけない質なのだろう、彼は言葉に詰まり、呆気ないくらい早く認めた。
「何故、判る」
「右の眉がピクピクしてるもの」
 ファソンは彼にグッと顔を近づけ、自分も右眉をひくつかせて見せた。
「馬鹿な」
 彼は心外だというような顔をする。ファソンは肩を竦めた。
「別にあなたが?春香伝?を読もうが読むまいが、私には関係ないから。気にしないで」
 ファソンは彼に取り合う気はさらさらなかった。そのまま行き過ぎようとするのに、呼び止められる。
「待て」
「なに?」
 青年の物言いたげな瞳に、ファソンは小首を傾げた。
「そなたの手にしている書物は―」
「ああ、これ」
 ファソンは軽く頷き、さらりと言った。
「?忠孝明道?よ。あなたも両班の子息なら、きっと書名は知っていると思うけれど」
 彼はまた顔を紅くした。
「題名は知っている。だが、まだ全部は読んだことはない」
「この書物はまだ清国から伝わって間がないもの。この朝鮮であるとしたら、王さまのいらっしゃる宮殿の書庫くらいにしかないと言われているほどの価値ある本なのよ。もちろん、国王殿下(チュサンチョナー)はとっくにご覧になってらっしゃると思うけどね」
「うっ」
 何故か青年は踏みつぶされる寸前の蛙のような声を出した。
「そなたは、な、何故、国王がそれを既に読んだと思うんだ?」
「当たり前でしょ」
 と、ファソンは断じた。
「国王さまはこの国を統べる尊い方でおわすのよ。まだお若いけれど、きっと向学心も旺盛だし、政にも熱心でいらっしゃるに違いないものね」